〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/19 (金) 落 伍 (二)

白魔は、しきりに眠気ねむけ を誘う。
行けども行けどもただ真っ白な道の単調さ。そして、寒烈の極から襲ってくる無感覚状態にちかい麻痺まひ と、烈しい疲労などが、一しょになって、怪しいこころよ さに、うとうとしてくる。
兵衛ひょうえ 兵衛。── 鎌田はおるか」
「義朝は、とこどき、思い出したように、あたりを叫ぶ。
「正家は、おん前を駆けております」
義平よしひら は。── 平賀四郎は」
「つづいております。すぐお後に」
「頼朝もおるな。頼朝も」
「はい」
「朝長や金王丸こんのうまる も、はぐれるなよ。睫毛まつげ の雪を氷らすと、互いの姿も見失うぞ。眠気ざしてきたら、大声を出すがいい。呼び交わしては、眠気を払い合うことだ」
万一の関所固めをおそ れていた守山の宿しゅく も、ことなく過ぎた。小篠原こしのはら 、大篠原の難もしのぎ、日野川を渡り、石寺せきでら のふもとあたりへ来たころ、夜はまったくふけていた。
「おおう〜い」
と、後ろで呼ぶ。
「おいいいっ・・・・」
と、先の方で答える。
気を まし合うための呼び いも、雪風に、声は れ、呼吸いき もつまって、つい、列伍れつご も乱れがちであった。
そのうちに、たれともなく、
すけ どの・・・・うっ佐どの・・・・」
と、しきりに遠くで呼ぶのが聞こえる。
義朝と義平は、先の方で、馬を止めた。生き物のように眉毛まゆげ へさわる雪に ばたきながら、耳を澄ました。
「佐どのうっ・・・・」
「おおういっ。佐どのウ・・・・」
また聞こえる。しかも、その声は、前より遠くに思われた。
「頼朝か? ・・・・。探しているのは」
「戻ってみましょう。落伍らくご したのかも知れません。父上は、ここでお待ち下さい」
「いや、おれも戻る」
「父子の前を先駆していた鎌田兵衛正家も、聞きつけて、
「や、引っ返されますか」
と、馬をめぐらし、義朝、義平について駆け戻った。
平賀四郎義信よしのぶ はいた。金王丸こんのうまる はいた。二男の朝長も、佐渡式部重成も、後方にいた。
が、ひとり三男の頼朝が見えない。
すけ どの (頼朝) がお見えなさらぬ」
たれかが、気づいたのは、もうよほど時たっていたとみえ、声を合わせて、呼んでも、待ってみても、なんの答えがないという。
「頼朝が、見えぬとか」
親心を、はず ませて、義朝は、たれかれとなく、たず ねた。
「どの辺から?・・・・いつごろ」
「篠原では、まだ、たしかに、われらと駒を前後して、おいででしたが」
「日野川では」
「さあ、あの辺りは、吹雪もつよく、おのおのが、渡る瀬を探しあって、列伍れつご を散らしましたから、あるいは、そのおり、遅れあそばしたのかも知れませぬ。── 重々、われらの落度、引っ返して、お探し申しましょう」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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