やがてのこと。この数日どこかに隠れこんでいたらしい宮中仕えの雑色
や舎人とねり たちの一群がまた、六波羅武者に呼び出されて、大勢の前にやって来た。 「皇居に入り込み、数日に渡って尾籠びろう
、狼藉ろうぜき 。不届き至極である」 武者をうしろに、ひとりの武将が言った。 「──
だが、六波羅の大弐様の、かくべつの思し召しによって、こんどだけは、ゆるしておく」 冬陽ふゆび
の下の、浮浪者や悪漢たちは、それを聞いて、みな相好そうごう
をくずし、右や左へ、がやがや何事かを、ささやき合って、急に、肌はだ
の半風子しらみ を、かくのもいた。 「これ、静かに聞け」 武将は、しかりつけて、いい足した。 「ゆるしてはつかわすが、直ちに、退散はならん。広い宮苑を、尾籠びろう
に汚よご したあとを、きれいに、掃除して、立ち去れ。──
よいか」 「へい」 と、一せいに、黒い群れはうなずいた。 「舎人とねり
、雑色ぞうしき たちの、指図を素直に受けて、大殿の床下から、園の隅々すみずみ
までを、清掃するのだ。そして、働き終わったら、民部省の東の廩院りんいん
へゆき、御救恤米ごきうじゆつまいい
五合ずつをいただいて、帰るがいい。── が、このたびは、謀反人むほんにん
の起こした不測の凶乱ゆえ、許しておかれるが、以後、いかなる場所でも、かような行為は、ゆるされぬ。あすからは、仕事を求めて、まじめに働くようにという、徳原様からのお言葉であるぞ」 黒い群れは、何か、自分たちでも、分析できないような気持の中に、一とき、しんとなった。──
が、すぐ舎人たちから、箒ほうき
や竹の熊手くまで を渡されると、柔順に、持場持場を分けて、働き出した。 「やっぱり、貧乏人の味は知っているから、話しはわから」 熊手を動かしながら、ひとりの男が、仲間たちへ言っていた。 「六波羅様っていうのは、大弐清盛様のことだろう。おれは、むかしあの人が、平太と呼ばれていた時分を、よく知ってるんだ。ウソらもんか、ほんとさ。スガ目の伊勢殿といわれていた家の貧乏息子で、よく、ボロ直垂ひたたれ
を着ちゃあ、塩小路しおこおじ
のクサ市だの、榎下えのきした
のお賽日さいじつ などに、うろついていたもんだ。──だからよ、泥棒仲間じゃねえが、おれたちクサ市の者は、あの人を見ると、あいさつをしたもんだぜ、酒瓶さかがめ
でもおいてある時にゃ ── どうです一杯、なんていってね」 「へえ。そういう時代があったのかな。六波羅様にも」 「だから、ああ見えても、あの人は、おれたちの仲間みたいなものさ」 「飲んだかい、クサ市の酒などを」 「う。まあ、飲みもしねえがね。・・・・そういったような仲なんだよ。だから、話しは、わかってらあな」 「あ、来たぞ、来たぞ」 「何が」 「大弐様と六波羅勢の行列がよ」 「これやあ、いけねえ」 彼らはたちまち、声も姿も、ひそめてしまった。──
が、さいも広い宮苑も、その半日で、あらまし清掃され、すでに、合戦以来、放置されていた源氏の死骸しがい
も、どこかへ、きれいに運ばれていた。 清盛は、一族と軍勢を連れて、式部省のわきの殷富門いんぶもん
から入って行った。そして内裏だいり
に入る前に、まず、応天門を開かせ、朝堂院へのぼった。 朝堂は、諸官衙しょかんが
八省の議事堂であり、百官の侍庁じちよう
する所であり、また大礼の中台ちゆだい
である。 ここは、ここだけでも、二十五門の扉と
じまりがあるので、乱れてもいないし、荒されもしていない。 「よし」 清盛は、朝堂院の無事を見てから、建礼門けんれいもん
を通り、内裏の諸殿を検あらた
め、さいごに、清涼殿せいりょうでん
に立って、殿上人でんじょうびと
の 「簡かん 」 を収めた。 「簡」
というのは、長さ五尺、幅八寸ぐらいな板で、殿上人の簡、あるいは仙籍せんせき
の簡、ともいう。 つまり上卿以下百官の、職名簿とおもえば間違いない。だから、昇殿を止められたり、官職を褫奪ちだつ
されることを ── 「殿上ノ御簡ギヨカン
ヲ削ケズ ル」 ── というのである。 清盛が、これを収めたということは、彼が、その生殺与奪せいさつよだつ
の権威を握ったということになる。史書によれば、その時彼は、か呵々かか
と笑って、こう言ったそうである。 「きのうくれて、きょう取る── 早いものだなあ」 |