〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/17 (水)  こく かん げん がく (五)

やがてのこと。この数日どこかに隠れこんでいたらしい宮中仕えの雑色ぞうしき舎人とねり たちの一群がまた、六波羅武者に呼び出されて、大勢の前にやって来た。
「皇居に入り込み、数日に渡って尾籠びろう狼藉ろうぜき 。不届き至極である」
武者をうしろに、ひとりの武将が言った。
「── だが、六波羅の大弐様の、かくべつの思し召しによって、こんどだけは、ゆるしておく」
冬陽ふゆび の下の、浮浪者や悪漢たちは、それを聞いて、みな相好そうごう をくずし、右や左へ、がやがや何事かを、ささやき合って、急に、はだ半風子しらみ を、かくのもいた。
「これ、静かに聞け」
武将は、しかりつけて、いい足した。
「ゆるしてはつかわすが、直ちに、退散はならん。広い宮苑を、尾籠びろうよご したあとを、きれいに、掃除して、立ち去れ。── よいか」
「へい」 と、一せいに、黒い群れはうなずいた。
舎人とねり雑色ぞうしき たちの、指図を素直に受けて、大殿の床下から、園の隅々すみずみ までを、清掃するのだ。そして、働き終わったら、民部省の東の廩院りんいん へゆき、御救恤米ごきうじゆつまいい 五合ずつをいただいて、帰るがいい。── が、このたびは、謀反人むほんにん の起こした不測の凶乱ゆえ、許しておかれるが、以後、いかなる場所でも、かような行為は、ゆるされぬ。あすからは、仕事を求めて、まじめに働くようにという、徳原様からのお言葉であるぞ」
黒い群れは、何か、自分たちでも、分析できないような気持の中に、一とき、しんとなった。── が、すぐ舎人たちから、ほうき や竹の熊手くまで を渡されると、柔順に、持場持場を分けて、働き出した。
「やっぱり、貧乏人の味は知っているから、話しはわから」
熊手を動かしながら、ひとりの男が、仲間たちへ言っていた。
「六波羅様っていうのは、大弐清盛様のことだろう。おれは、むかしあの人が、平太と呼ばれていた時分を、よく知ってるんだ。ウソらもんか、ほんとさ。スガ目の伊勢殿といわれていた家の貧乏息子で、よく、ボロ直垂ひたたれ を着ちゃあ、塩小路しおこおじ のクサ市だの、榎下えのきした のお賽日さいじつ などに、うろついていたもんだ。──だからよ、泥棒仲間じゃねえが、おれたちクサ市の者は、あの人を見ると、あいさつをしたもんだぜ、酒瓶さかがめ でもおいてある時にゃ ── どうです一杯、なんていってね」
「へえ。そういう時代があったのかな。六波羅様にも」
「だから、ああ見えても、あの人は、おれたちの仲間みたいなものさ」
「飲んだかい、クサ市の酒などを」
「う。まあ、飲みもしねえがね。・・・・そういったような仲なんだよ。だから、話しは、わかってらあな」
「あ、来たぞ、来たぞ」
「何が」
「大弐様と六波羅勢の行列がよ」
「これやあ、いけねえ」
彼らはたちまち、声も姿も、ひそめてしまった。── が、さいも広い宮苑も、その半日で、あらまし清掃され、すでに、合戦以来、放置されていた源氏の死骸しがい も、どこかへ、きれいに運ばれていた。
清盛は、一族と軍勢を連れて、式部省のわきの殷富門いんぶもん から入って行った。そして内裏だいり に入る前に、まず、応天門を開かせ、朝堂院へのぼった。
朝堂は、諸官衙しょかんが 八省の議事堂であり、百官の侍庁じちよう する所であり、また大礼の中台ちゆだい である。
ここは、ここだけでも、二十五門の じまりがあるので、乱れてもいないし、荒されもしていない。
「よし」
清盛は、朝堂院の無事を見てから、建礼門けんれいもん を通り、内裏の諸殿をあらた め、さいごに、清涼殿せいりょうでん に立って、殿上人でんじょうびと の 「かん 」 を収めた。
「簡」 というのは、長さ五尺、幅八寸ぐらいな板で、殿上人の簡、あるいは仙籍せんせき の簡、ともいう。
つまり上卿以下百官の、職名簿とおもえば間違いない。だから、昇殿を止められたり、官職を褫奪ちだつ されることを ── 「殿上ノ御簡ギヨカンケズ ル」 ── というのである。
清盛が、これを収めたということは、彼が、その生殺与奪せいさつよだつ の権威を握ったということになる。史書によれば、その時彼は、か呵々かか と笑って、こう言ったそうである。
「きのうくれて、きょう取る── 早いものだなあ」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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