〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/16 (火)  こく かん げん がく (四)

都に、ことさえなければ。── そして、貴族の権力が無事に行われていさえすれば。── 彼らは、彼らの餓鬼国がきこく のうちで、寝たり、拾い食いしたり、盗んだり、半風子しらみ をつぶしたり、ガニ打ち (ばくち) したりして、暮している。
けれど、ひとたび、火を見ると、彼らは、髪の毛を逆立てて、火事場へ、かせぎに走る。
まして戦乱は、彼らにとって、千載一遇せんざいいちぐう である。行く先々さきざき に、欲心をそそり、日ごろの飢えを満たすものが、ころがっていた。彼らのここ数日は、まるで地獄の釜から解放されたようなものだった。みな、腸満ちょうまん のような、太鼓腹たいこばら をして、空き家を荒し、果ては、宮城にまで、入り込んで来た。── 宮城諸門は、二十六日の激戦当日、源氏が出払ったきょ をついて、平家の隠し軍がここに入り、夕刻までは、赤旗が翻っていたが、義朝の総敗軍となると、それへ追討を命ぜられ、ここにいた隠し軍も、すべて洛外の諸道しょどう へ出て行ってしまったため、内裏だいり や外苑の広大な地域は、駆け荒されたまま、無人の境にひとしい暗やみになっていたのである。
餓鬼国の人びとは、たちまち、外から泥溝水どぶみず が沁みこむように、皇居の空家に入り込んだ。
穀倉や、大膳寮だいぜんりょう を、野鼠のねずみ のように、荒らしまわったのは勿論のこと、藤壺ふじつぼ桐壺きりつぼ だの、清涼、紫宸ししん大殿おおとの までを、ものめずらしげに、土足で歩きまわった。そしてすっかり上機嫌な餓鬼国人たちは、大臣や公卿になったつもりで、みな、ひょうきんになり出した。梨壺なしつぼ小間こま やお湯殿の間から見つけ出して来た女御にょご衣裳いしょう や公卿の冠などをつけて、男どもは、上げ畳に座り込み、仲間の辻買女や女乞食こじき を、女御やきさき に仕立てて管絃宴かんげんえん真似事まねごと などし始めた。
昨夜なども、この大内を、わが世の春と、遊びどよめいていたのだろう。怪しげな大勢の笑い声や拍手が漏れ、奇怪な足踏みだの、でたらめな楽器の音が、夜もすがら、どこからともなく、内裏に聞こえていたものだった。
王侯の夢もわずか二、三日。彼らは今。── 一網打尽に、捕まってしまった。また、もとの門へ返されて、冬の陽溜ひだまり りに寒々さむざむ とかたまり合い、
「どうなるんだろう?」
と、ぽかんとしていた。
「余り大勢だから、入れるほどな牢舎ろうや が、この都には、ないんだろう」
「じゃあ、まとめておいて、首か。いわし みたいに」
「魚でも、これだけの魚となると、たいへんだよ」
「まあいいや、どうなっても、おれも、ひと晩だが、殿上人てんじょうびと になったんだからな」
恐怖も抱いているらしいが、わりあいに暢気のんき である。げらげら笑い合っているのだ。
彼ら自身で、彼らの生命を非常に安価なものに ている証拠でもあった。だが、社会にとっても、為政者自体にしても、一番恐るべきものは、こうした無自覚な生命の群れにあることは言うまでもない。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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