〜 〜 『 寅 の 読 書 室 Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻
2013/04/16 (火)
餓
(
が
)
鬼
(
き
)
国
(
こく
)
管
(
かん
)
弦
(
げん
)
楽
(
がく
)
(一)
仮御所では、早々に、
叙位
(
じょい
)
除目
(
じもく
)
が行われた。
重盛は、伊予守に任ぜられた。
二男基盛は、大和守に、三男宗盛は、遠江守に。── また池ノ禅尼腹の頼盛は、尾張守に補せられた。弟経盛は、病中だったので、
沙汰
(
さた
)
に欠けている。
武者では、伊藤五景綱が一の功といわれ、一躍、伊勢守に、となった。破格な賞である。
清盛は、何も、望まなかった。
正三位という議が出たが、微笑して、
「熊野路の旅先では、すでに、今生はないと、覚悟して戻りましたのに、かく主上のおつつがなきを見、一家の無事に会い、この上、何をか・・・・」
と言って、受けない。そして、上卿に花山院大納言
忠雅
(
ただまさ
)
、
職事
(
しょくじ
)
は、蔵人
朝方
(
ともかた
)
と決めて、議を先へ、進ませてしまった。
処罰の方では。
死罪、流刑の者をふくめ、
堂上
(
どうじょう
)
や武将など、七十三人の官職を
褫奪
(
ちだつ
)
し、なお逃亡中の者には、追討の勅が、発せられた。
また、この日の公卿
僉議
(
せんぎ
)
の終わりには、大内裏への、主上の
還御
(
かんぎょ
)
のことが、問題になった。
「
戦
(
いくさ
)
の終わった以上、主上は、一日も早く、お
在
(
わ
)
すべき皇居にお還りあそばすべきだし、この
手狭
(
てぜま
)
な六波羅の内に、いつまで、御不自由を
強
(
し
)
い奉るもいかが」
と、いう衆言である。
ところが、公卿の中にも、
「いや、いわかの還幸は、然るべからず」
と、いう意見の者もあった。
というのは、二十六日以後、
大内
(
おおうち
)
は、ほとんど人なき有様になったので、たちまち、どこからともなく野盗の群れや浮浪人がまぎれ入って、糧倉を荒らしたり、物を盗み出したり、はなはだしきは、
宮苑
(
きゅうえん
)
のあちこちに
糞尿
(
ふんにょう
)
をしたりなど、さながら
餓鬼国
(
がきこく
)
を現じている。ぜひ、兵を向けて、浮浪や群盗の巣を追い払い、また、
陰陽
(
おんよう
)
博士に命じて 「
穢
(
え
)
」 を
祓
(
はら
)
い、吉日をえらんで、還幸あるべし、という、慎重論である。
「ごもっともだ」
清盛は、その方の意見に賛成した。が、やはり還幸は、年内に、行われた方が、人心の安定にもなり、かつは、新春の御儀も、恒例のごとく、
執
(
と
)
り行うこともできよう。天下一新の気を醸成するには、この年始めと、立春の季節を、逸すべきでないと、主張した。
「
大内
(
おおうち
)
の
煤払
(
すすはら
)
いには、さっそく、清盛自身、出向いて、明日中にも、一切をすませて来ましょう。おのおのにも、女院女房ふぁたにも、めでとう、初春をお迎えあるがよい」
僉議は、終わった。
「やれやれ、生命もたもち、
戦
(
いくさ
)
も終わった。── これで、我が家に帰って、
待春
(
まつはる
)
の支度までできれば」
と、公卿たちに、たれひとり、異存のあるわけはない。
主上も、およろこびである。わけて、女院や
侍
(
かしず
)
きの女房たちは、伝え聞いて、にわかに、喜々と、さざめき立ち、六波羅仮御所は、もう春が来ているようだった。
著:吉川 英治 発行所:株式会社講談社 ヨリ
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