〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/16 (火) 雪 の あ と (三)

「朝長はいるか。頼朝はいるか。── オオ兄の義平も、それへ来たか」
惨たる一かたまりの人馬の中で、義平は、悲壮な面で、まわりへいった。
いくさ はこれまで。さむらいの子と生まれたは、おこと らの悲運ぞ。義朝の運は、今ときわまった。父は、最期さいご をとげる。おこと らは、思い思いに落ちて行け」
「ご一緒に、死なせてください。朝長も頼朝も、おそばを離れません。いやです。離れるのは」
朝長もいう、頼朝もいう。
長男の義平は、
「この に、だだをこねるな」
と、二人の弟を、しかりつけた。そして、
殿軍しんがり は、わたくしがします。そういうことがわたくしの好むところなんですから。お悲しみくださいますな。父上は弟どもを連れ、どこへなりと、お立ち 退 きあるように」
と、言い張った。
「いや、それは御無用です」
鎌田兵衛、斉藤実盛、陸奥六郎、後藤ごとう 真基さねもと など、まわりの声は、こぞって、反対した。
「弓矢を取って、源氏がこんな敗れ方をしたのは、八幡殿 (義家) このかた、始めてです。けれども兵家の習い、是非がありません。だだ、口惜しいのは、あやま って、右衛門督うえもんのかみ 信頼のぶより ごときを、総大将といただいたことですが、それとて、悔やんでも及ばぬこと、このうえは、身を山林に潜め、時節を待って、今日のはじ をそそぐしかありますまい。── 死すべき時は、今ではありません」
かれらは、口をそろえて、討死の非をいさめ、義朝父子の馬を囲み合って、先に一団、後ろに一群、たがいに呼び合いながら落ちて行った。
のちろん、平家方では、
「のがさじ ──」 と、追撃して来る。
先へ駆けまわって、退き口に立ちふさがろうとする敏速な敵勢もある。
蹴散けち らしては駆け通り、反転して、一撃を加えて落ちてゆく。── それが繰り返されるまに、初め五十騎ほどだったものが、七騎減り、十騎減り、またなん騎か、はぐれたりして、やがて加茂上流の人の足跡もない雪ばかりの山里へ来て、ほっと、かえり みあったときは、義朝父子をいれて、十四名しかいなかった。
「あわれ、首藤すどう 刑部ぎょうぶ も、討死したか。佐々木源三、平賀 義信よしのぶ も、果てたか、落ちのびたか。井沢四郎の姿も見えぬよ」
義朝は口走った。自責から出る肺腑はいふ の声であった。それらの武将も武将だが、敗残の苦痛と暗い運命を将来に負わせて、飢えの山野やいち の中へ、無数に散らした兵の身の上と、兵ひとりひとりにつながる哀れな家族たちまでを考えると、断腸だんちょう の思いを抱かずにはいられなかった。
そういうつながりは、かれ自身にもある。
六条の館にも。
また、柳ノ水附近に住居を持たせてある愛人の常磐ときわ と、彼女の乳ぶさやひざのまわりにも。
六条屋敷の方は、思慮のある郎党をして、あと始末をいいつけてある。
「・・・・が、常磐や、あの幼い者たちは?」
義朝は一抹いちまつ の気がかりだった。 「はやく、身のまわりを始末して、洛外の知るべを頼って落ちて行け」 とは、戦前にいいきかせておいたことだが、夫なる自分に心をひかれて、都の内を去りたがらずにいた彼女が、果たして、今日の前に、田舎へ立ち退いてくれたかどうか。
身一つならばまだしも、彼女のふところには、今年生まれたばかりの乳飲み児がある。
あと四つと六つになるのも、悪戯わるさ ざかりの男の子だ。どんなに、母を困らせていることだろう。その足手まといを身に抱え、また、今日は源氏の敗北を聞いて、茫然ぼうぜん と泣き悲しんでいる常磐ときわ の姿が、義朝のまぶた に見える気がしていた。
馬も疲れたか、山地へかかると、雪にさえつまずきがちだった。義朝は、こま を止めて、遠くを眺めた。
洛内の搭のさき だの家々の屋根も銀一色の下である。数条の火光と黒煙くろけむり が、あちこちから立ちのぼっていた。それは夜空となるにつれ八瀬やせ の山路からも近々と見えた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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