「朝長はいるか。頼朝はいるか。──
オオ兄の義平も、それへ来たか」 惨たる一かたまりの人馬の中で、義平は、悲壮な面で、まわりへいった。 「戦
はこれまで。さむらいの子と生まれたは、お汝
らの悲運ぞ。義朝の運は、今ときわまった。父は、最期
をとげる。お汝 らは、思い思いに落ちて行け」 「ご一緒に、死なせてください。朝長も頼朝も、おそばを離れません。いやです。離れるのは」 朝長もいう、頼朝もいう。 長男の義平は、 「この期
に、だだをこねるな」 と、二人の弟を、しかりつけた。そして、 「殿軍
は、わたくしがします。そういうことがわたくしの好むところなんですから。お悲しみくださいますな。父上は弟どもを連れ、どこへなりと、お立ち 退
きあるように」 と、言い張った。 「いや、それは御無用です」 鎌田兵衛、斉藤実盛、陸奥六郎、後藤
真基 など、まわりの声は、こぞって、反対した。 「弓矢を取って、源氏がこんな敗れ方をしたのは、八幡殿
(義家) このかた、始めてです。けれども兵家の習い、是非がありません。だだ、口惜しいのは、過
って、右衛門督
信頼 ごときを、総大将といただいたことですが、それとて、悔やんでも及ばぬこと、このうえは、身を山林に潜め、時節を待って、今日の辱
をそそぐしかありますまい。── 死すべき時は、今ではありません」 かれらは、口をそろえて、討死の非をいさめ、義朝父子の馬を囲み合って、先に一団、後ろに一群、たがいに呼び合いながら落ちて行った。 のちろん、平家方では、 「のがさじ
──」 と、追撃して来る。 先へ駆けまわって、退き口に立ちふさがろうとする敏速な敵勢もある。 蹴散
らしては駆け通り、反転して、一撃を加えて落ちてゆく。── それが繰り返されるまに、初め五十騎ほどだったものが、七騎減り、十騎減り、またなん騎か、はぐれたりして、やがて加茂上流の人の足跡もない雪ばかりの山里へ来て、ほっと、顧
みあったときは、義朝父子をいれて、十四名しかいなかった。 「あわれ、首藤
刑部 も、討死したか。佐々木源三、平賀
義信 も、果てたか、落ちのびたか。井沢四郎の姿も見えぬよ」 義朝は口走った。自責から出る肺腑
の声であった。それらの武将も武将だが、敗残の苦痛と暗い運命を将来に負わせて、飢えの山野や市
の中へ、無数に散らした兵の身の上と、兵ひとりひとりにつながる哀れな家族たちまでを考えると、断腸
の思いを抱かずにはいられなかった。 そういうつながりは、かれ自身にもある。 六条の館にも。 また、柳ノ水附近に住居を持たせてある愛人の常磐
と、彼女の乳ぶさやひざのまわりにも。 六条屋敷の方は、思慮のある郎党をして、あと始末をいいつけてある。 「・・・・が、常磐や、あの幼い者たちは?」 義朝は一抹
の気がかりだった。 「はやく、身のまわりを始末して、洛外の知るべを頼って落ちて行け」 とは、戦前にいいきかせておいたことだが、夫なる自分に心をひかれて、都の内を去りたがらずにいた彼女が、果たして、今日の前に、田舎へ立ち退いてくれたかどうか。 身一つならばまだしも、彼女のふところには、今年生まれたばかりの乳飲み児がある。 あと四つと六つになるのも、悪戯
ざかりの男の子だ。どんなに、母を困らせていることだろう。その足手まといを身に抱え、また、今日は源氏の敗北を聞いて、茫然
と泣き悲しんでいる常磐
の姿が、義朝の瞼 に見える気がしていた。 馬も疲れたか、山地へかかると、雪にさえつまずきがちだった。義朝は、駒
を止めて、遠くを眺めた。 洛内の搭の尖
だの家々の屋根も銀一色の下である。数条の火光と黒煙
が、あちこちから立ちのぼっていた。それは夜空となるにつれ八瀬
の山路からも近々と見えた。 |