〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/16 (火) 雪 の あ と (一)

平治の合戦は、その激しさ、保元の乱の比ではない。
三年前のそれは、朝廷と院と、あるいは貴族と貴族との、戦いであった。武家自体は、飼われた門に って、心ならずも、父子兄弟や叔父おじ おい も、敵味方に分かれ、源平の両党も、入り交じって対陣した。
しかし、今度は違う。
源平二氏は、画然と、各々の旗の下に対立した。例外は、兵庫頭頼政だけにすぎない。
また動機も、信頼と一味の若公卿は、口火役に躍っただけで、爆発したものは、源平二系統の軍部と軍部の争覇そうは であった。
朝廷と院の二つに、政権もあり、軍もおかれ、しかもその兵は、源平二党の混成であったうえに、久しい末期的世相を上下とも描いた来て、今日、この戦乱が起こらなかったらむしろ、ふしぎと言ってよい。
およそ古今、地上のどこでも、一国に統帥とうすいこと にする軍部が二つ存在する場合は、かならず、あつれきし、かならずその国の乱になる。
なおのこと、軍は純一な愛と倫理の上に立つのでなければ、兵器はいつでも凶器に化し、武は変じて、暴徒に化しやすい。
武が愛するもの、守るもの、信奉するもの。── それがその国の倫理として、一元的に愛護され合おう場合のみ、武の使命とする平和は守られてゆくであろう。ある一つの権門だのまた、べつな摂関家せっかんけ の門だのに、初めから番犬的におかれた武者所がこのように豹変ひょうへん して来たのは、不自然な発程はつてい ではない。
それを歴代の為政者は、深くも思わなかった。いたずらに門に兵を飼って、保元、平治の乱をみずから招いた。自衛の持った武力のために、藤原氏自体が、いまは発言権も失い、戦火の中を逃げまわらなければならなかった。── それが、今日の戦いだった。平治に合戦なのである。朝廷も院も制止する力すらないのだ。公卿百官もこうなっては、一兵の用にも足りはしない。
実相は、ただ武門と武門とのたおしあいだ。源平、食うか食われるかの一日である。
もちろんかれらの愛するものは一つではない。かれらの守るもの、仕えるもの、それも真二つに分かれた。同じ地上に生まれながら同じ地に生きず、一つ太陽に生かされながらとも に天をいだかずとする悲しい宿業しゅくごう を、次代の幼い者へまで、この一戦は、約してしまった。
従って、戦闘の様相は、猛烈を極め、時間としては、その日の午前から午後にわたる短い間にすぎなかったが、激戦また激戦がくり返され、悽愴せいそう 、言語に絶するものがあった。
清盛も自身、指揮におどり出し、西廊にしろう の角に立って、督戦した。妻戸つまどしとみ にまで、敵の矢がバラバラ立つ。── そして一時は、源氏の武者声ばかりが、津波のように、屋敷の周囲に えかかり、清盛の耳をふさいだ。
「もう、だめか、ここも、さいごか」
清盛すら、何度も、観念しかけた。身の危険などは忘れていた。中門に押されて、 じ怖れている味方を、どなりつけて、二階門の南のうてな (楼台) へ登った。
四方にたて をかこんだやぐら の上から、清盛は半身を現していた。そこでまた声をからして、味方を叱咤しった したり、弓を って、ほかの武者輩むしゃばら とともに、ぶんぶんと矢を放っていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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