「だ、大弐
どの、たいへんぞよ。ことこそ起こりつる」 と、頭中将とうのちゅうじょう
隆国たかくに と、二、三の公卿が、外の矢たけびや、すさまじい武者声に顛倒てんどう
して、塗籠ぬりごめ ノ間ま
から、走り出て来た。 清盛も気が気ではない。── 何よりも、敵の放火を恐れていた。 「やあ、何を、騒がれるか。あなた方は、主上のお側にあって、玉座をさえ守っておればよいのだ。──
なぜ、おそばを離れるか」 「いなとよ、大弐どの。その玉座が、塗籠の間に、お見え遊ばさぬ。・・・・主上には、いずこへ、御渡とぎょ
あらせられたのか」 「なに、主上が、お見え遊ばさぬと?」 清盛も、あわてた。 極度に、火を恐れていると、気のせいか、舘たち
の外や内に、めいめりといっている屋響やひび
きも、何か、もう炎に音に似たような逼迫ひっぱく
を感じさせて来る。── それさえ気もあおられる心地でいるのに、主上のお姿が見えないと告げられたので、仰天ぎょうてん
したのもむりではない。 彼は、彼の予測に反して、事態が、急迫してきた驚きに、憤然と、直衣のうし
の上に鎧よろい を着込み 「もう、子ども任せにはしておけぬ」
と、自身、防戦の意気に燃え上がった出端でばな
なのである。 「それは、一大事だ。── よも、味方に裏切りもあるまいが」 と、頭とうの
中将や公卿たちと一しょに、舘たち
のあなたこなたを探しまわった。 女童めわらべ
がかたまり合って泣いている。女院付きの女房たちが、おろおろ、渡殿わたどの
を戸惑い走っている。まさにこれは、落城寸前の光景ではないか。 「あ、おられまする。主上には、いちばん奥の、物具倉もののぐぐら
の内へ、矢を避けて、お潜ひそ
まりあそばしました。── 大弐どの。御安堵ごあんど
なされい」 頭とうの 中将が、そこへ渡る廊の口で、大きくさけんだ。 後から、駆けて来た清盛は、 「や、御安泰か」 と、がっかりしたように立ち止まった。──
が、うす暗い物具倉の内をのぞくと、急に畏かしこ
まって、外からこう奏上した。 「どんなことがありましても、清盛がおります以上は、お心づよく思し召せ。・・・・いで、清盛自身、陣頭に出て、眼にもの見せてくれましょうず」 やおら、郎党の手から薙刀なぎなた
と兜かぶと を受け取った。そして兜の緒お
を結ぶのも、もどかしそうに。廊の橋を、駆け渡って行こうとした。 ── すると、始終、彼につき従っていた義弟の非蔵人ひのくろうど
時忠が、 「アっ・・・・殿っ、殿っ。待たれませい」 と、ひどくあわてて呼びとめた。 清盛は、大薙刀なぎなた
を、小わきに抱えたまま、廊の橋に立って、振り返った。 「なんだ、時忠。おれが、陣頭に出るのを止めるのか」 と、言った。 「いえ ──」 と、時忠は、吹き出したいような顔つきをこらえて、 「ちょっと、お直し下さい。おん兜が、逆さか
さまです。御大将たるお方の兜が、あべこべでは」 「な、なに。兜が・・・・うしろ向きだと」 清盛は、頭へ、手をやってみて、ちょっと自分でも変な顔をしたが、突然、胸を反らして、笑い出した。 「ばかをいえ!
時忠。何が、これで間違っているものか。おまえたちは、常のかぶり方でも仕方がないが、清盛一人は、主上の玉座に、後ろを見せぬよう、わざと、心を兜に現しておるのだ。余計なことを言わずに、わが前を駆けて、敵を追い払え」 時忠は、あきれた。 しかし時にとっての、この叱言こごと
は、涙の出るほど、うれしくもあった。 「あははは。燕雀えんじゃく
の徒と 、大鵬おおどり
の心もわきまえず、恐れ入って候う。さらば、時忠がお先に立ちますゆえ、殿に、一人の敵も与えずとも、またお怒いか
り遊ばすなよ」 時忠は、勇躍して、清盛の先に走った。おくれるなと、駆けつづく郎党たちも、駆けながら、おかしさが、止まらない顔して出て行った。 見ていた公卿たちも、みな笑いどよめき、ひいては、恐怖とおののきに満ちていた暗い物具倉もののぐぐら
の玉座あたりにも、一時ながら、笑いさざめく明るさが窺うか
がわれた。 |