〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (三) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/15 (月) 逆 さ 兜 の 事 (二)

これは悪源太の手功/rb>てがら に似て、じつは彼の若気わかげ による大失策であったと、のちには言われた。── なぜならば、兵庫頭頼政は、信頼や義朝と運命を共にする事は避けたが、さすがに名を惜しむ者であったから、六波羅へも加担せず、兵を下流に退 げて、かたく、中立を守っていたものだった。
その中立の一勢力を、悪源太は浅慮あさはか にも、敵方へ無理に追い込んでしまったと、結果においては、悪評を受けたのである。が、頼政としては、むしろ良い口実を得たようなものであろう。ぜひなく旗を六波羅に加えたとして、それからは明らかに、源氏へ向かって、敵対し出した。
されも、六波羅のたち の内は、大混乱を捲き起こしていた。
(充分に、敵を誇らし、味方は時を見て、内裏から遠く引き退け)
(いかに戦うも、大内裏だいだいり に、火を放つことはならん)
(源氏の総勢を、すべて、内裏の御門外に誘い出して、 る所を失わせ、しかる後、包囲して、これを殲滅せんめつ する)
等々の指令は、初めに、清盛から言い渡されていた平家方の作戦要項であった。
重盛、頼盛たちの諸将は、そのむね のとおりに、戦った。そして、機を見て、退いたのである。
だが、退却は、進撃より、むずかしい。
退くに際して、大将重盛が、悪源太に追いかけまわされたのと、友軍の頼盛が、義朝の追撃に、潰走かいそう して、混乱を重ねたため、全軍、めちゃくちゃになって、その浮き足を、予定の線に、とど めることが出来なかった。
こうなると、予定の退却も、恐怖的なものになって、兵はみな、五条大橋を逃げ渡ってしまい、諸将もやむなく、六波羅へ拠ったので、ついに、大橋をこわ して、敵をはば めるような非常手段をとるような始末となった。
しかも、それすら余りたの みとはならない。
源氏の攻勢は、捨て身であった。
清盛が、隠し軍を伏せて、源氏が出払ったあとの内裏だいり を占領させたのは、たしかに、一兵略に違いなかったが、その代わりに、彼らをして、帰る所のない、退くに り場のない、不退転の猛兵にさせてしまったことは是非もない。
義朝以下、源氏の一兵までが、
「一 は、きょうぞ」
「今が、わかれ目だぞ、十年、百年、孫子まごこ の代までの、運のわかれ目」
と、感じていた。そして味方のかばね も踏み越えて行く甲冑かっちゅう豹軍ひょうぐん が、はや、六波羅苑の築土ついじ や、道や、門や、あちこちの岸へ、矢たけび、喊声かんせい をあげて、迫っていた。
これらの坂東武者が、こうした戦場では、その野性の勇と、武門の中でみが き合う恥なき名において、どんなに勇敢であったかは、このさいにも、幾多の例がある。
金子十郎は、前の夜、内裏の藻壁門そうへきもん を守りながら、うかと、二条帝の脱出を見逃したので、汚名をここにそそ ごうものと、この日、
「われこそ、六波羅の門を、一番に越えて、玉座ぎょくざ を奪い返してみせん」
と、むらがる敵へ当っていった。
そのため、矢は射つくし、果ては、折れ太刀を提げて、駆け歩いていた。
するとちょうど、友だちの足立あだち 右馬允うまのすけ がすり抜けたので、呼び返し、
「この通り、折れ太刀では、働きもままにならぬ。わぬしの帯添おびぞえ(わきざし) を貸してくれ。恩に着る」
と、頼んだ。
あいにく、足立は、差添さしぞえ を帯びていなかったので、郎党の持っている太刀を取り上げて、金子十郎に、貸してやった。
十郎はよろこんで、敵の中へ、駆けて行ったが、足立の郎党は、何思ったか、
「もう、さむらいは止めた。おれは、主人に、見捨てられた」
と、わめいて、急に、戦場から立ち去ろうとして。
足立は、驚いて、その郎党へ、
「狂気したか」 と、とがめた。すると郎党は、一そう不平顔をして、
「狂気したのは、あなたでしょう。兵を下知して戦わせる主人が、兵の太刀を取り上げるなんて、よほどどうかしている。わたくしに、立ち往生しろというのか、さむらいを止めろというのか、どっちみち、わたくしは見限られたのだ」
と、食ってかかった。足立は聞いて、
「いや、悪かった。っま待て、そう怒るな」
と、馬を駆けまわして敵と戦い、敵の太刀を取ってきて、くだん の郎党に与えたという。
およそ、坂東武者の気負いというものは、そつ までが、そんなふうであったから、これが六波羅のたち へぶつかって来たときは、さしも堅固な二階門も高築土たかついじ もひと みに突破されるかと思われた。── けれど、清盛のたち は、いまや二条天皇のおられる仮御所ではあるし、そこを破られては、致命となるので、六波羅勢は、附近の平家一族の邸宅も、挙げてまにあ防塁化し、へい 、屋根、木々の梢などの高所から、石やかわら まで投げて防ぎ戦った

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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