〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/15 (月) 平 治 見 物 記 (一)

逃げる重盛も、追う義平よしひら も、馬蹄ひづめ蹴立けた てる雪けむりをひいて、二すじの真っ白なつむじと、つむじが、どこまでも、からんで行った。
重盛は、馬の前つぼ深く上半身を つ伏せたまま。ムチも折れよの姿であった。
かれの前後には、旗もとのへい 与三左衛よさざえ もん と、新藤左衛門の二騎がともに駆けていた。
「あっ、あぶないっ、若殿」
と、新藤が振り向いて、注意を与えたとき、重盛の駒は、かれを抜いて、あざやかに、眼の前の二条堀川の水を、跳びこえていた。
「新藤、跳べないのか」
と、平与三左衛門も、一気に躍り越えた。
「なんの ──」 と、新藤も、馬の鼻をそろえて跳ぶ。
そのとき、うしろで、弦音つるおと がひびいた。重盛の体のどこかに、矢が たって、ばしっと、変な音がした。 よろい が良いと、 やじり がくだけたり、矢柄やがら もハネ折れる場合がある。
すぐ二の矢が、また、重盛のそで射縫いぬ い、矢が草摺くさずり に、ぶら下がった。
「待てっ。待ち給わぬかっ。恥こそ知れ。清盛の子ほどな者がっ」
追い迫った悪源太の声が、耳を打つほど、近くに聞こえた。
が、矢を射たのは、義平ではなく、かれの一騎の深追いを危うんで いて来た鎌田かまたの 兵衛ひょうえ 政家だった。
義平は、堀川を びかけた。ところが、なにに驚いたのか、急に、馬が左へ れて、前脚のひざをついたため、義平は手綱を持ったまま、堀のいかだ の上へ、もんどり打って、振り捨てられた。
その上を、鎌田兵衛の馬が、ぶうっと、雪風を連れて、渡ってしまった。
「鎌田鎌田。おれにかま わず追え。重盛をこそ、のが すな」
と、義平は、いかだ の上で、怒鳴っている。── と見て鎌田は、義家へうなずき返し、さらに、三の矢を引き絞りながら、重盛の背へ追って行った。
この辺りに積みちらしてある材木が、雪の山みたいに見えた。重盛の駒がたじろぐかに見えた刹那、鎌田の三の矢が、馬腹に突き刺さった。雪がぱっと赤く映え、馬も、重盛の体も、勢いよく横ざまにたおれた。
かぶと が、どこかへ飛んでしまい、重盛は黒髪をあらわして、 大童おおわらわ になった。
雪だらけな、兜を拾って、かれはすぐ頭にかぶりかけた。
「得たり」 とばかり、鎌田は馬をとばして来たが、乱離らんり と見える材木に、馬の脚下を危うんで、かれもくら から飛び降りた。そして、
馬頭まのかみ (義朝) どのが一の郎党、鎌田兵衛にて候うぞ。のがれ得ぬところ、御観念あれ」
と、いきなり組にかかった。
組まれてはと、重盛は、左に手で、兜を押さえ、右手に弓を持って、力かぎり、鎌田の面頬めんほお を、横になぐった。
鎌田は、ひと足引く。太刀を抜くためであった。すると、横からべつな敵が、
「おのれ、人なしと思うか。へいの 与三左よさんざ いて、 さか しらな」
と、叱咤しった して、重盛をうしろに庇った。そして猛然、両手をひろげて、いで組まんとかかってきた。
おうつと、鎌田は満身で組み止めながら、ずずっ ── と大きく雪に草鞋わらじあと を描いた。二人の吐く白い息は、猛牛がつの をからむ刹那せつな の勢いにも似ていた。鎧の皮革ひかく と皮革や、金属がぶつかり合うたびに、勇壮なひびきを立てた。そして、諸仆もろだお れになったと思うと、年の若い与三左よさんざ が、鎌田を下に組み伏せていた。
そのとき、堀川を んで、後から駆けて来た悪源太は、一方に、重盛の姿を見たが、鎌田兵衛は父が秘蔵の家来だし、それも見捨ててはならないし ── と、やにわに、鎌田の上になっている与三左を、後ろから斬りふせた。
重盛に いていたもう一人の新藤左衛門は、
「すわ、難儀」
と、あわてて自分の駒へ、重盛を乗り えさせた。そして、遮二しゃに 無二むに 、重盛を先に落としてから、 「何条、主の若殿を討たすべき」 と、踏みとどまり、悪源太と鎌田兵衛の二人へ、われから戦いをいど んだ。当然、新藤左衛門もここで最期さいご をとげた。しかしそのため、重盛は命びろいして、ようやく、味方のうちへ逃げ帰ることが出来た。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next