〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/14 (日) 左 折 れ 右 折 れ (二)

台盤所だいばんどころ から母屋もやむね までは、なお二つも渡り廊がある。
重盛に言われるまでも、清盛は、寸刻も大事なことは、知っていた。すぐ急ぎ足に、母屋もや の寝殿の方へ、帰りかけた。
すると、また一人、廊のかど に、ぬかずいて、彼を待っていたらしい男がある。
男は、直垂ひたたれそで をかき合わせて、板じきに、平伏したまま、
「ああ大弐だいに さま でござりまするか。御願望のこと、首尾ようかないまして、おめでとう存じまする」
と、祝いをのべた。
ひょいと、顔を見ると、先ごろ来、惟方これかた や経宗と、六波羅との間にたって、しばしば密使にやって来たあけはな の出入り商人あきゆうど であった。
「おう伴卜ばんぼく か。このたびは、ご苦労だったな」
「なんの、ろくなお役にもたちませんで」
「いやいや、そちの功は少なくない」
「とんでもない。日ごろ、御台盤所さまから、お目をかけていただいている御恩報じにすぎません」
「経宗、惟方たちは」
「何せい、お疲れで、あちらの雑人部屋で、ひと眠りと、ぐったり、横になっていらっしゃいます」
「そうか、してそちも、昨夜の御車みくるま に、お供して来たのか」
「はい、土御門つちみかど の辻あたりから、おそ る畏るお供して参りましたが、とてものことに、なんのお手伝いも出来ませんが、釜屋かまや器洗うつわあら いなとさせていただこうと存じ、これへ参りましたところ、はからずも、お姿を拝しまして・・・・。はい、なんとも、ありがたい仕合わせにござりまする」
「いずれ、よい沙汰さた を聞かすであろう。後日の恩賞を待て」
清盛は、この男を、疑わなかった。妻の時子が、信用している者だし、事実、こんどの画策には、商人特有な機転を働かして、裏面の奔走に、よく務めたことは確かだった。
清盛の姿が、やがて、玉座の間近くにあらわれると、伝奏の頭中将とうのちゅうじょう 実国さねくに が、すぐ言いに来た。
「御嫡子がしきりに、探しておいでのようでしたが」
「重盛には、いま、あちらで、会いました。・・・・それよりは、主上には、白粥しらがゆ供御くご を召しあがられましたか」
「いま、おしませ遊ばしたところです」
「少しは、お元気になられましたか」
「もう、なんと申し上げたらよいか。われらまで、胸がつまりました。白粥のおうつわ を持たれたまま、おん涙を、いっぱいにためられましてな。ああ、温かな・・・・と仰せられ、二わん までお代え遊ばされた」
「それはよかった」
と、清盛は、自分がぬく まったような顔をして ── 「さっそくながら、追討の勅宣を仰ぎ申したいが」
「ただ今、聖旨せいし をいただいて、内記がしたた め中です」
おもて蔵人くろうど と四、五の公卿たちが、そこへ物々しげに、言って来た。
「法性寺どの (さき の太政大臣忠通ただみち ) が、御子息の関白の君 (基実もとざね ) をお連れになって、見えられましたが、お通ししてよいものでしょうか、いかがいたしたものでございましょう」
「え。・・・・法性寺殿のお父子が?」
とうの 中将は、眼をまろくした。そして、清盛の顔色を、はばかった。
いや、この中将ばかりでなく、細殿に居流れている公卿たちは、ことごとく皆、意外そうな顔をした。急に、父子を批判するざわ めきが高い。ある者は 「厚顔無恥な」 といい、またある者は、 「ここへ参られた義理ではないに・・・・」 と大げさな表情で言った。
内心、忠通に同情を持っている者も、清盛のはら をおそれて、はたと、当惑顔をした。
関白基実もとざね の夫人は、右衛門督信頼の妹であったのだ。── 理由はそれだけのことでしかない。── しかし、だれが考えても、これはまずい。第一に、清盛が不快に思うだろうし、関白という立場の職責も問われねばなるまい。そして場合も場合、これから信頼退治にかかろうという門出の今だ。
当然、たれもが、味方の名簿めいぼ から除外して、すでに黙殺していた名である。その父子が車をつらねて伺候してとあっては、ことがむずかしい問題というしかない。重大な考慮を要する。
とうの 中将は、弱りぬいて、君側くんそく にある三条右大臣の、意見を求めた。右府も、答えかねた。なみ居る諸卿は、みな、発言を好まない顔をしている。
「── 大弐だいに どの、あなたのお考えは、どうでしょう。あなたの、御意見としては?」
おそらく清盛が、内心の憎しみと不快を、むっと満面に表すのではないか ── とおそはばか りながらも、三条右府は、彼の方を見て、そっと、清盛の肚をただしたのである。
「え。どうかと、仰っしゃるのか。いや、通すも通さぬもありますまい」
清盛の返辞は、あっさりしていた。
なんでこんな問題一つに人びとが陰鬱いんうつ になったり複雑になったりするのか気が知れないというような単純さであった。
「──忠通ただみち 、基実どのといえば、父子ともに、摂?せつろく の重臣でしょう。このさい、迎えを出しても、出仕しゅっし していただかねばならぬお人。いわんや、龍駕りゅうが を慕って、われからここへ見えられたことは、国家の幸せではあるまいか。早々、ここへお通し申し上げるべきだと、わたくしは思うが」
彼の言葉で一切は解決してしまった。なんともいえに明朗な気分が座を流れた。
「ああ、申されたり、よくも、申したるものかな」 と、人みな、感じ入った面もちであった。従来の、殿上人でんじょうびと ばかりの席では、こんなさわやかな空気や恬淡てんたん な発言は、見たくも見られなかったことなのである。野人の加わった清新さといおうか、とにかく、清盛なるものが、卿相けいしょう して、咫尺しせき の間に、その人間臭と姑息こそく のない新味を注入し出したのは、じつにこのあかつき からであった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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