〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/14 (日) 左 折 れ 右 折 れ (三)

「重盛を、呼べ。経盛、宗盛、頼盛。また、筑後家貞も、これへ」
と、清盛は三条右大臣とともに、寝殿しんでんきざはし の端まで出て、彼らを待った。
やがて、庭上に、重盛以下が、ぬかずくのを見て、
「勅なるぞ。今よりすぐに行け。大内おおうち楯籠たてこも った信頼、義朝などの乱賊どもを討伐に向かえ。すぐ、駆け出でよ」
綸旨りんじ 4をつたえた。
この日、重盛は、父に代わって、軍の大将を任じられていた。以下の諸将とともに、玉座のみす を拝し、勇躍して退 がった。
門を出ると、重盛は、将台に登り、味方の総軍を臨んで、勅命拝受のむねを告げ渡した。そしてまた声を張りあげて言った。
「敵は、皇居にたてこもるとも、信頼や源氏の一族は朝敵でああるぞ。われらは官軍だ。── しかも思え、時しも年号は平治、所は平安の都、われら平氏。・・・・振るえや人びと」
それに対して三千の将士は、わあっとこた え、また、わあっと、武者声を合わせた。
「出陣」
陣鐘じんがね が鳴りひびき、鼓声こせい が往き交い、総勢三千余騎といわれる人馬は、うしお のように、雪を巻いて、皇城へ、攻めかかった。
途中、近衛このえ 大路おおじ や、大炊御門おおいのごもん 附近で、源氏方の小隊と出合ったが、六波羅軍の圧倒的な進撃ぶりを見て、
「あな物々ものもの し。なま じ、矢交やま ぜをして、敵を気負きお わすな」
と、源氏はみな、馬をかえ して、内裏の門の内へ、潜んでしまった。
内裏でもこのときすでに、諸門をひらいて出撃の用意にかかっていたおりだった。雪のあしたの はすでに東山の一端から、うらうらとさし昇って、甲冑かっちゅう の人、覆輪ふくりんくら 、木々の梢、大内裏の大屋根、すべてがまばゆ く、物みな燦々さんさん とかがやいていた。
「先を取られたか」
義朝としては、この暁、早くから、出撃を考えていたのだ。しかし、いかんせん信頼が、なんのかのと、紫宸殿から命令を出すために、諸門のあいだの連絡がくい違ったり、殿上でんじょう と軍との足なみが揃わなかったりして、ついに、出遅れていたものだった。
「われから せて、六波羅を囲めば、よいいくさ のできたものを。── 可惜あたら 、敵と地を えたことの口惜しさよ」
しかし、はや戦はまゆ に迫っている。彼は、 を鳴らして、見方の態勢を、急に、守備の陣に立て直した。
まず、重要な主隊を、陽明ようめい待賢たいけん郁芳いくほう の三つの門においた。
そして、門のとびら は、
「── 来れ、戦わん」
とばかり、わざと、開け放したものである。
同じく、承明しょうめい建礼けんれい の二門の小門も開けて、
「通らば、通れ」
と、中なる兵備を見せつけた。
皇城内の広さは六波羅などの比ではない。どんな騎馬隊がちが おうと、狭い感じはない。広場、大庭はいたる所にある。源氏二千余騎が、梅壺うめつぼ桐壺きりつぼ梨壺なしつぼ の小庭門から、清涼せいりょう校書殿きょうしょでん広前ひろまえ あたりまで、ひしひしと、弓、長柄ながえほこ旌旗せいき などをたて並べているが、それとて、群千鳥むらちどり の数ほどにも見えなかった。
攻めつづみ や攻め鐘の音は、はやくも門々の外に、迫っていた。皇城二十七門のうち、三門は、開かれているので、平家の軍勢もまさしくそこへ主力をそそいで来ている。
けれど 「いかなる詭計きけい もやある?」 と、さすがに、しばしば駆け入る気色けしき もない。ただ馬を並べ、弓弦ゆづる の林をたて、どとめきの潮をあげて、内の様子を計っているだけであった。
内をながめやれば、内裏には、源氏の白旗、二十幾りゅう が、へんぽんと立っていた。また外には、平家の赤旗三十幾すじが、ひるがえっている。空はあくまで青く、地はあくまで白い。そしてこの朝の大きな太陽が、人間のする戦争を、地にすむきれいな昆虫こんちゅう と昆虫が、何をやり出すのかと見るように見ていた。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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