とりあえず、玉座
を、寝殿しんでん に。東西の対たい
ノ屋や を、公卿、武将、蔵人くろうど
たちの控え所に。 当然、行幸みゆき
と同時に、ここは二条天皇の仮宮かりみや
とはなったのだが、さしも広い六波羅やしきも。狭さに、ごった返して、後あと
から後から伺候する公卿諸官のすわり場もない。 そこへまた、美福門院びふくもんいん
が、大勢の女房や女童めわらべ
を連れて、避難して来られたため、混雑はなおさらろなった。細殿ほそどの
、泉殿いずみどの 、出屋でや
、釜屋かまや にいたるまで人間で埋うず
められた。 「よくも、はいったものかな。わが家や
一つへ、天下の客を入れたようなものだ」 亭主ていしゅ
の清盛すら、そうつぶやいて、あきれ顔だった。その清盛は、紺の直垂ひたたれ
に、黒糸おどしの腹巻、籠手こて
脛当すねあて という半武装に、折おり
烏帽子えぼし をかぶって、忙しがっていた。 その折烏帽子は、右に折れている。 いつのころからか、平氏と源氏とは、旗の色ばかりでなく、服飾などにも、好みの相違が生じて来て、たとえば、烏帽子の折り曲げ方も、“平家は右折れ、源氏は左折れ”
ときまっていたのである。 「父上は、御前でしょうか」 雪の大庭も、沓くつ
や武者わらじに踏み汚されていた。重盛は、父の姿を探して、寝殿の下へ来た。 廊上の公卿のひとりが、欄干おばしま
ごしに、重盛へ言った。 「いえ、玉座のお近くには、お見えになりませんが」 「はて、どこへおいでになったのであろう?」 重盛は、父を求めに、中門を出、二階門の内外やら、武者溜むしゃだま
りなど、のぞいたりして、またむなしく奥へ戻って来た。 狭いといっても、六波羅の舘たち
、園内の建物を、すべて見歩いていたらたいへんである。 「困ったお人だ。どうこうするまに、夜も明けなんとしているのに・・・・」 重盛は、空ばかり、仰いだ。夜が明けてはと、東山の端が明るみ出すのを案じているのだ。喜びにつけ、悲しみにつけ、情におぼれやすい父なので、行幸を仰いだ感激に有頂天うちょうてん
になって、今暁こんぎょう の戦機を忘れておいでになるのではあるまいか。夜中から待機して並木や河原へ出ている将士も皆やきもきして、出陣令を待ちむいている。 「・・・・だのに、どこをうろうろしておられるやら」 まさか下部しもべ
部屋や厩舎うまや などではないと思ったが、念のため、馬出しの広場のほうへ行きかけると、台盤所だいばんどころ
の釜屋かまや の渡り廊を歩いて来た父に、ばったりと上と下で、顔を合わせた。 「あ。父上。こんな所に」 「重盛か。なんだ」 「分からぬはずです、釜屋などへ、お渡りとは」 「料理人どもへ、自身、さしずに来たのだ。供御くご
に、粗相があってはと」 「炊かし
ぎや、膳部ぜんぶ などは、厨房ちゅうぼう
の者に、任せておかれてはいかがでしょう。御軍勢は、待ちぬいています。発向の御命令を」 「まだ、夜明けには、間がある」 「明けたら、一大事です。敵に、先せん
をこされて、五条へ詰め寄せられたら、六波羅はこの有様、防ぎはつきますまい」 「偵察を出しておけ、偵察を」 「仰せまでもなく、物見は辻々に伏せてありますが」 「それでいい」 「しかし、今暁こんぎょう
の一瞬とき こそ大事な戦機。先せん
を取った方が、勝ちですから」 「戦の戦機を、そちに聞こうとは思わぬ。父には父の考えがあることだ。第一には、まず、綸旨りんじ
を仰ぎ奉らねばならん。── ところが、陛下には、たった今、ここへ落着かれたばかりであろうが。十八日の間、火の気もない黒戸御所くろどのごしょ
に閉じ込められ、御寝ぎょし も足らず、お食物もの
もろくに召し上がってはおられない。せめて温あたた
かい白粥しらがゆ なと先にさし上げてからでなければ、何の奏請そうせい
もわしにはできぬよ。・・・・それからだ、出陣は」 「はい」 「経盛、宗盛、頼盛。また、貞家や貞能さだよし
、景安などの侍さむらい どもへも、よくいい触れろ」 「はっ」 「主上に、白粥をさし上げる間、しばらく待てと。その間は、どかどか、大焚火おおたきび
して、手綱の手、弓の手でも暖めておけと」 重盛は、命に服して、退きさがった。あきらかに、戦の不利と分かっているが、けさの父は父なりに昂奮しているようだし、日ごろでも、めったに意見を聞く父ではない。 重盛は、河原へ戻って、雪の五条河原も見えぬほど一面に陣している軍勢へ、こう令を伝えさえた。 「焚火たきび
焚火たきび に、思うざま、薪まき
を加えて、心ゆくまで暖だん をとれ。夜明けも未いま
だし、出陣やや遅れようほうどに」 |