〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/13 (土) 源 氏 名 簿 (四)

この日を、一期いちご として、義朝も、一世の装いを、太刀や物の具に、 らしていたし、嫡男の義平、二男の朝長、それぞれに、にお い立つばかり、武者は武者のたしなみと、精美を尽くして、着飾っていたが、わけても、人目に立ったのは、兵たちから、
佐殿すけどの 、佐殿」
と愛称されていた頼朝であった。
頼朝は、陣中ながら、まだ幼少なので、父や兄たちからいたわられ、つい、たった今まで、内匠寮たくみりょう の一室で、よく寝込んでいたのである。そこを 「佐殿すけどの 。いよいよ、合戦ですぞ」 と郎党にゆり起こされ、寒さに震えながら、寝ぼけ眼のうちに、父からもらった源家相伝そうでん源太げんた 産衣うぶぎ という鎧を着せられて出て来たのだった。
源太産衣は、先祖の八幡殿が、少年のころ、着用されていたものとかで、小振こぶり であるため、ほかの兄には、着られなかった。また髭切ひげきり の刀も、ほんとうは嫡男に伝えられるものを、義平よしひら は、物に恬淡てんたん な質なので、 「おれは、相模さがみ 鍛冶かじ の名作を持っているから」 と、弟の頼朝に与えられていた物だった。
とまれ、可憐かれん な者が、陣に交じっているということは、なんとなく、武者の心に、悲調をかな でる。源氏の人びとは、頼朝の姿に、胸を熱くした。
夜明けとともに、雪も小やみとなり、雪の洛中らくちゅう に、朝陽あさひ が、まばゆかった。そして、この朝は、雪の下から炊煙をたてている一軒の民家もなかった。
せられては、なんの防禦もない六波羅のたち 、われから押しつめ押しつめて、一もみに踏みつぶせ」
すでに子の方針のもとに、出撃の準備にかかっていたときである。
偵察を兼ねて、洛中を一巡して来た悪源太義平が、
「父上父上、ただ今、眼に見てきたところでは、お味方のはずの兵庫頭ひょうごのかみ 頼政よりまさ が、三条の河原を、五条の方へ下がって参りまするぞ。── 先ごろから、仮病けびょう を構えたりなどして不審な頼政、てっきり、二心ふたごころ を抱いて、六波羅へ参ずるものと見えまする。わたくしに、追い撃ちをお許し下さいませ」
と、言って来た。
義朝は、」あきらかに、感情を動かした。
「よしっ、追い撃ちには、おれが行く」
と、馬を立て直した程だった。けれど、さすがに彼は思い直した。耳にも、かさぬ振りをして、
「頼政ずれに一人や二人。東へ来ようと、西へ行こうと、 っておけ。── 大事の前の小事ぞ」
と、 いて、笑って見せた。
しかし、まもなくこの日の合戦で、義朝と頼政とは、五条をはさむ河原で対陣した。
そのとき、義朝は、馬を乗り進めて、初めて、彼の面皮めんぴ をなじった。
「やよ、頼政。── 名をば、みなもと兵庫頭ひょうごのかみ と呼ばれながら、言いがいなく、伊勢平氏の門に、くつ しられたな。源家げんけ のうちから、和主わぬし のような二股者ふたまたもの を出したことこそ口惜しい。どのつら さげて、源氏の陣前に、弓を立てて来られたか」
すると、頼政は、かなたに、姿を見せて、
「おう、義朝どのか。もっともなお言葉よ。それがしも、累代るいだい弓箭きゅうぜん のほこりを失わじと、皇室に二心なく、かくあるばかりのことにて候う。むしろ御辺ごへん が、信頼のぶより ごとき日本一の不覚人ふかくじんくみ し、非を知りながら非を改めぬこそ、源氏の恥辱、一族のために、悲しまれる ──」
清々すがすが と、言い返した。
こう二人の問答は、合戦が終わった後も、人々の語り草となり、いずれを 、いずれを非とも、まだ歴史化しない時の流れの中では、たれもにわかに言い切れなかった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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