〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/12 (金) 源 氏 名 簿 (三)

雪は、内裏の大殿や諸門の屋根に、まろやかな線を描きあげていた。よろいかぶと も、雪になって、武者たちの姿は、一そう重たげに見える。
大将軍信頼は、閲兵のため、紫宸殿ししんでんがく ノ間に床几しょうぎ をすえ、子息の新侍従信親、兄の基家もといえ基通もとみち 、弟の尾張少将信俊などが、左右に居ながれていた。
一味には、このほか。
伏見げん 中将師仲もろなか 、越後中将成親、治部卿兼通、伊予前司信員のぶかず 、壱岐守貞知さだとも 、但馬守有房、出雲前司光保、伊賀守光基、河内守李実すえざね 、その子李盛すえもり など、なお驕児きょうじ の心を誇らすに充分なほどの綺羅星きらぼし ち満ちていた。
また、武者名簿には。
左馬頭義朝を始めに。── 嫡子、鎌倉の悪源太義平、二男、中宮太夫ちゅうぐうのだいふ 朝長ともなが 。そして三男の右兵衛佐うひょうえのすけ 頼朝よりとも は、まだ、十三歳の少年であった。
以下一族の主なる者には、義朝の叔父六郎義隆、同じく弟の新宮しんぐうの 十郎、いとこの佐渡重成、平賀義信。──郎党がしら では、鎌田兵衛かまたのひょうえ 、後藤基実もとざね 、佐々木源三義秀、三浦荒次郎、岡部六弥太、猪俣小平六いのまたこへろく 、平山武者所、熊谷次郎直実、木曾仲太、武蔵長井の斉藤別当実盛さねもり など、これを地方的に見ると、相模さがみ 、武蔵、常陸、甲斐、上野こうずけ下野しもつけ上総かずさ 、三河などの東国人が断然多く、紀州熊野の新宮十郎の手勢が交じっているのが異色にすら見える。
こうしている間に。
雪をついて、六波羅の動きは、頻々ひんぴん と、早馬されていた。
六波羅方の気勢にも、ただならぬ動きが見え、一部の軍勢は、はや、河原へ出て、進撃の命を待っているとも聞こえた。
またなお、河の東、東山のすそを迂回うかい して、突兀とつこつ と、内裏の側面へ討って出る奇襲的な気配もうかがわれるなどと、伝令の一報ごとに、
「今日こそ、決戦」
と、紫宸殿をめぐる諸卿と、源氏の将士二千余騎は、かぶと びさしに、氷柱つらら をたれ、鎧の下に、何か、自分でも覚悟のほかであったような、恐怖と血のたぎりを、持ち堪えていた。
正面、がく に、高く床几をすえていた右衛門督うえもんのかみ 信頼は、むらさき すそごのよろい に、赤地錦あかじにしき の直垂を着、菊紋をちりばめた小金作こがねづく りの太刀をはいていた。それに、くわ形のかぶと白星びゃくせい が、庭上の雪の えて、なんとも美しい。
「心のほどは、ともかくも、打ち見れば、あわれ、立派な大将かな」
と、心ある源氏の諸将は、宿命の盟主を仰いで、思わずつぶやいたことであった。
しかも、彼の馬として、左近の桜の下に、つながれていた黒鹿毛くろかげ は、遠く、奥州平泉の藤原基衡ふじわらもとひら から、院のおうまや に献上された六戸一ろくのへいち という名馬だった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next