信頼は、事実を眼に見て、おどり上った。裏切り者の惟方よ経宗よと口のかぎりののしった。また、自分の不覚も口惜しがって、前後の処置も、どうしてよいか、にわかに思いつかない様子で、 「このことは、味方の内へも、しばらく、もらすな」 と、おろおろ言いまわるに過ぎなかった。 だが、これほどな失態が、分からずにいるわけもない。 二条大宮に火の手を見て、さきに、駆け向かっていた悪源太義平
さえ、もうそれを知っていた。 「はて、今夜は、いぶかしい事のみあるぞ」 義平は、すぐ引っ返して来た。そして、父義朝のいる衛府えふ
へ来て、こう言った。 「途中で、聞き及んだことですが、清盛の手がまわって、主上は六波羅へ、上皇は仁和寺へ、脱け出られたということですが、ほんとですか」 「・・・・・」 義朝も、諸将も、それに対して、答える気力を失っていた。硬こわ
めた表情をじっと持ち支えているだけである。── 陣中寂せき
として声なし、という語が、そのまま源氏の陣営の一瞬であった。 「ほんとでしょうか。父上」 義平は、ここの空気に、一そう急き込んでしまった。そして父の口から、 「うむ・・・・」
と、重いうなずきの下に 「いうとおりだ。今、それを耳にしたばかりだが、右衛門督うえもんのかみ
(信頼) からは、まだ、なんとも言って来ぬ・・・・」 と、聞かされて、初めて、彼の若い顔にも、見方の諸将と同じような憂いがにじみ出た。 「義平」 「はい」 「それよりも、大宮の火の手は、どうだったのだ」 「まったく、敵の偽計ぎけい
でした。六波羅の兵などは見えもせず、民家や、野火などが、あちこちで、燃えいぶっていたにすぎませぬ」 「清盛の智か、あるいは清盛のそばに、すぐれた謀士でも付いているのか。こよいの手まわしは、敵ながら鮮やかだ。我らの戦いも、たやすくはあるまい」 「・・・・が、父上。天皇、上皇もおわさぬ御所を守って、果たして、名分がありましょうか。戦いくさ
の勝ち目がありましょうか」 「いや、義をつがえて、ひとたび盟を陣にむすんだ以上、心変わりをしないのは、累代るいだい
弓矢に生きる源氏のならいだ。── よしや、いまにわかに、べつな計けい
を拠よ ろうとしても、それは平家の下に、奴隷どれい
となるか、自滅を待つか、二途と
をのがれることは出来まい」 義朝は、真意を吐いた。みじかい、この一語の中に、彼はすべてを言っていた。 夙つと
に、義朝も、右衛門信頼のこのごろを見て、 (この人物、見損なった・・・・) とは悔いていたに違いない。けれど、そんな浅薄な人物と結びつく悪縁の根は、多分に自分にあったものである。彼と結盟しなくても、信西入道しんぜいにゅうどう
との反目をふかめいつかは、清盛とも正面から戦わねばならないことは、源氏の宿命にあったのだ。 すでにあの政略家で、そして宮中から女院や卿相けいしょう
えおも、自己の勢力下においていた信西入道は、この世にはいない。いわば、当初の敵勢力の一翼は、打ち砕いており、あとは、清盛ただ一個ではないか。たとえ天皇を擁し奉って、清盛が、信西を真似まね
、一人二役を兼ねてみたところで、おそらく信西ほどな政治的才腕を振るうことは出来まい。結局、精神的な損失は、見方にとっても、寡少ではないが、実践においては、なお有利な条件にあるのだ。──
自分としても、やわか清盛ずれに、劣ろうや。── 義朝は心のそこで、しかと、自分へ覚悟させているのであった。 そこへ、義朝の弟、新宮しんぐうの
十郎義盛 (後の行家) が、内裏の奥まった所から帰って来て、こう報告した。 越後中将どのに、お会いして、しかじかの風説は、実否、いかにと、おたずね申しましたところ、否とよ、内裏には、何の異変もないというお答えでした」 「なに、なんの異状もないとか」 たれも信じる者はない。 見えすいたその小心翼々ぶりをあわれむような苦笑が、篝火かがりび
に照らされている武者面むしゃづら
を、ひとしお、苦々にがにが と黙り込ませただけである。 「もう問うにも聞くにも及ばぬ。命を一つにして、内裏にこもる勢ぜい
はだれだれぞ。おそらく、夜の間に落ちた公卿もあろう。陣ぞろいして、正しく、人数を読みあげよ」 と、義朝の令に、少将は、各所に兵を集めて、名簿めいぼ
をとった。 |