〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/09 (火) 過 去 ・ 現 在 ・ 未 来 (二)

「しめた。してやったり!」
「してやったり、してやったり」
ムチを振り鳴らし、手綱をひき、御車の牛を追い立てて来た二人の牛飼うしかい 雑色ぞうしき は、皇居の藻壁門そうへきもん を出るやいな、飛ぶがごとく、駆けに駆けて、朱雀すざく から急に土御門つちみかど の角を、東へ曲がりだした。
あとから駆けていた 惟方これかた経宗つねむね たちは、はや さに、続きかねて、
「待て待て、さは、急ぐな」
「ここまで来れば、もう大丈夫。待たれよ、待たれよ」
と、息もせいせい呼び止めた。
牛飼い二人は、やっと、足をゆるめて、
「あはははは。うしろで、悲鳴をあげておられるぞ。待とうか、景綱」
「おう、もうよかろう」
と、たたず んだ。そして後ろの人影を待ちながら、白い 張着ばりぎそで で、冬の夜ながら流れるえり もとの汗を押しぬぐっていた。
こう二人の牛飼いは、内裏だいり の奥まで車を入れて、巧みに、宮門のかがりや松明たいまつ にも、見破られずに来たが、いま、牛飼装束しょうぞく を押し いで、汗などぬぐっているのを見ると、下には、黒糸縅くろいとおどし しの腹巻を着、小刀を帯び、あっぱれ面構つらがま えの武者なのであった。
まごうかたなく、伊勢古市の伊藤景綱であり、もう一名は、たての 太郎貞康だった。清盛のむねをうけて、また清盛の眼にえらばれて、この大役を申し付かったことにちがいない。
ほどなく、賀茂の並木に出て、三条洞院とういんかど まで来ると、つつみ の蔭から、松明を持たない一群の兵が黒々と河原から這い登って来た。これなん、ここまでお迎えに出たいた清盛の一子重盛、また清盛の弟の経盛つねもり 、頼盛などの二百余騎であった。
上将たちの小声な指図さしず のもとに、兵は縦隊を作って、御車の前後をまもり、やがて、五条大橋へかかったが、時は平治元年十二月二十五日の真夜半すぎで、このころから墨のような低い夜雲よぐも はチラチラと大つぶなびたん雪をふる っていた。
「雪も、吉兆」
「雪もめでたし」
と、首尾よく行幸を仰いだ平家の人々は、もの狂わしいほど、わき立った。雪の中で、ひょうきんに踊り出す者もすらあった。
この晩まで、燈火は一切禁じて、無明むみょう 、無表情のとりで を守っていた六波羅だったが、御車みくるま が、清盛邸に入ると同時に、雪の殿廊亭舎でんろうしゃてい へかけて、一斉に、星かとまごうばかり無数のしょく がともされた。
これとともに、洛中の大路小路を、五、六人ずつ一組になった平家の武者が、まち から街へ、大声でふれ歩いていた。
今暁こんぎょうとらこく の一点をもって、仮の皇居は、六波羅に定めおかれて候うぞ」
「上皇は、仁和寺へ。主上には、六波羅へ行幸みゆき りて候うなり」
「朝敵にならじと思う人々は、急ぎ、六波羅へこそ、 せ参られよ」
暁闇ぎょうあん から日の出ごろにかけて、関白、諸大臣の車を始め、公卿くげ 朝臣あそん たちの車馬は、ひきもきらず、五条を渡って、六波羅の門へ、ひしめいた。そのため、馬や車の立て所もなく、 れによろ うた下部しもべ たちが、臨時の車だまりや馬つなぎを、にわかに、河原かわら おもて まで張り設けたほどであった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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