〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/09 (火) 過 去 ・ 現 在 ・ 未 来 (一)

ついに決行されたこの晩の主上しゅじょう の皇居落ち ── 黒戸くろどの 御所ごしょ からの脱出は ── たれの頭脳に出たものか、とにかく、よほど緻密ちみつ な計画のもとに実行された秘策に違いない。
ひとり監禁中の主上を奪取するだけでなく、同時に、上皇後白河をも、仁和寺へお落し申さなければならなかったのであるから、むずかしさは、なおさらであったろう。
もし、内裏だいり を出ないうちに、信頼のぶより 一味に覚られていたら、時局は一変し、以後の歴史は、どう変わっていたか分からない。
また、主上が、御車みくるま にかくれて、藻壁門そうへきもん を出る時、金子十郎が、女装の陛下を、これは男だなと、観破していたら、ここでも、どんな事件が突発していたか知れないのである。
扈従こじゅう の臣は、まさに薄氷を踏む思いであったろう。
主上にも、あの時、金子十郎の弓の先で、御簾みす をめくり揚げられたせつなには、南無なむ さん ── と、観念されたに違いない。
史記によると、あらかじめ、主上へは、御鬘おんかずら を奉り、女房飾にょうぼうかざり りを召されたとあるから、単に、花やかな御衣ぎょい をかぶられたばかりでなく、御化粧をもほどこされ、まゆずみ も描かれていたらしく思われる。
もちろん、御衣にはこう の薫りもしみていたであろし、松明のほのおすく ませ給うたおん姿の美しさには、坂東武者の眼も、ただかしこ さに打たれて、真の女性か、女装の男性かも、よく見極め得なかったのは無理でもない。せっかく、見とがめながら、御車みくるま を通してしまったことは、信頼の にとっても、源氏の運命にとっても、実に、重大な一失ではあったが、さればとて、金子十郎一名の落度とも、責められないものがある。
なぜならば、御車が、かれらの虎口ここう を脱し得るか否か、 つるぎ を渡って行くような大事な時に、ほかの宮門や要所にもいた哨兵しょうへい は、全然、別なことに気をとられて、それを怪しみもしなかったのである。
理由は、── これも後には、六波羅方の巧妙な心理戦術と知れたが、ちょうど、その時刻に、二条大宮方面の空に、火の黒煙くろけむり が望まれ、平家の軍勢が、加茂上流に迂回うかい したとか、叡山えいざん の僧兵が、清盛と通じているとか、紛々ふんぷん たるきのうきょうの風説を裏付けるように、騒ぎ立っていたのであった。
このため、あく 源太げんた 義平よしひら は、父義朝に命ぜられ、急遽きゅうきょ 、一隊の騎兵をひきいて、二条大宮へ駆け出していたし、諸門の兵も、それぞれ動いて、鞍馬くらま ぐち へ備えを出すなど、あらぬ幻影の火の手に無用な心をつか っていたものなのである。── 主上の 御車みくるま は、この間隙かんげき を縫って、じつに万に一つの脱出に、成功したものだった。
世にこのときの陛下のいでましを “六波羅ろくはら 行幸みゆき ” と んで、脱出とは言っていないが、事実は、もっともっと劇的であったに違いない。こう事が運ばれるまでの裏面史は決して単純ものではなく、二条帝御自身も、一死を しての御決行であったろうし、さらに最大な運命を賭けていた者は、いうまでもなく、清盛であった。
小技こわざ は不得手なかれであるが、こういった大技おおわざ になると、かれならでは、やり手はない。こんな難局の大舞台を、いながら回転させ得るほどな力量の人物は、平安朝の幾世紀にも、この日までは、 づべくして出なかったものといっても過言ではない。
余談を述べすぎたが、以下、主上の御車が、ひとたび、皇居を脱して、六波羅の門へ向かうや、いかにそのことの結果が、時局に急激な転換をきたしめたか。また大弐だいに 清盛なる二流人物を、一躍、時代の主動的人物にさせて行ったか。驚くべき変化を読者は読まれるあろうと思う。いわゆる 「六波羅行幸」 と んで、史家がこれを重視する理由はそもにあるのである。何しろ、いろいろな意味において、平安朝という世代は、この夜の御車みくるま をさいごとして終わったといえよう。藤原貴族政治四世紀の長い長いわだち のあとを一切過去として、烏羽うば たま の現在を、さらに果て知らぬ未来へと、めぐ り急いでいたものであった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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