ここにまた、同夜の丑
の刻ごろのこと。 黒戸御所にも、異変があった。 後白河上皇と同じように、ここに押し込められておわした二条天皇のおそばへうかがい寄って、 「北廂
の坪へ、そっと、御車を引き入れておきました。いざ、ここを御出座あって、御安泰な所へ、お連れ申し上げましょう」 と、ささやいた人間がある。 思いきや、それは、惟方と経宗だった。 二人とも、草鞋
をはき、 太刀 をはさみ、直衣
の下に籠手 脛当
まで着けていた。 「・・・・?」 天皇は、かすかに、顫
えておいでになるだけで、否とも、応とも、仰らない。 「諸門とも、源氏の兵が、打ち固めておりますから、これを、お髪
の上から被 いて、何事が起こっても、決して、お声を立てないように遊ばしませ」 惟方は、眼も綾
な女房 衣
を取って、天皇のお姿をつつみ参らせ、経宗がおん手をとり、お早くお早くと急
きたてて、御車の 内 へ、押し上げた。 天皇とともに、十八日間、黒戸御所でお暮らしになっていた中宮の妹子の君も、一車のうちにお乗せした。 牛飼
、舎人 とて幾人もつかなかった。御車のキキキキと怪しげな音を軋
ませながら、飛香舎の坪を忍び出て、采女寮
のわきから造酒司
の広庭へと、出て行った。 その方角の先には、藻壁門
がある。 門の守護は、源氏の金子十郎と、平山武者所李重
だった。 「待てっ」 おびただしい人数の武者
溜 りだった。当然、こう制止された。 「怪しげな車よ。今宵に限って、どこへ参るか」 武者たちは、轅
の左右にひしめいていて、やかましく、詮議
立てした。 惟方は、御車の前に、立ちはだかっていった。 「これは、やごとなき姫宮を、ゆかりの御寺
まで、おん供申しあぐる者である。うかと、卒爾
すな。十郎に、出迎えよと申せ」 「おう、十郎は、ここにいますが」 「金子十郎か」 「あなたは?」 「別当の惟方よ」 「おっ、惟方どのか」 「御門を開いて通されい。惟方が、自身おん供し奉る御車
、仔細 あるまい」 「いやいや、拙者どもには、堂上、上臈方
のことどもは、なべて分かり申さぬ。主君左馬頭
どの (源義朝) の御命
をもって、唯一の使命と仕
る者。たとえ別当のおことばなりとも、めったに、お通しわけにはゆかぬ」 「情
の強 い坂東武者かな、さらば、左馬頭を呼べ」 「いずこにおわすや、頭殿
の御所在は、知れ申さん」 「おん嫋
かなる姫宮を、いつまでも、恐
らしき武者陣の中に、据え参らすも畏
れあり。別当職のわれらが従いて押し通るに、なんの不審やあろう。そこを退け」 「や、待たれい。ただ押し通られては、御門守護の、われら武者たちの一分が立たぬ。──
強 いてと、仰せあるなれば、内を、お検
め申した上で」 と、金子十郎は、ずかと歩み寄るなり、弓の先で、御車の簾
を、かき上げた。 そばの武者たちはまた、いきなり、その中へ、松明
を振り入れて、内なる人を、検
めた。 二条天皇は、この年、御十七歳。 龍顔
花のようなるうえに、女房衣を被
かせ給うて、中宮
妹子の君と、抱きおうたまま、蘭花
のおん眼 も打ちふさいで、生ける御
心地 もなく、ふるえておられた。──
それは武者たちがどう眼をこらしても、この世の人とも思えなかった。秘宮の美人としか見えない。 「お通んなさい」 金子十郎は、いい放った。 松明、かがり火、武者の騒
めきなどの中を、御車
は、遣 り出された。外は、師走
の凍地 、暗々
たる夜空の木枯し。 と、惟方と経宗は、牛飼
舎人 を、span>叱咤
した。 宮城外苑の広い地域を、六波羅へと、駆けたのであった。 |