二十日、二十一日、二十二日と、余日
のない年の瀬が何も手につかない心地の中に過ぎて行った。それも、例年のような待春
のような暮とはちがい、弘徽
殿 にも、正月らしい物の何一つさえ用意されず、紫宸
、 清涼 、大極大極殿
も、木枯らしに吹き荒れ、諸門の大庭も、内裏の坪も、武者の草鞋
に踏み乱され、朝夕の兵の 炊
ぎに、 街中 のような煙が立ち込めるだけだった。 そして、ここでは、毎日毎晩のように、 「六波羅が襲
せてくる」 という風評に怯
え、また、六波羅方では、 「源氏の兵が、内裏を出て、攻めて来るぞ」 と、言い伝えては、防御や、応戦の備えに、恟々
と夜を明かしていた。 要するに、ここ数日は、どっちもまだ攻勢に出るまでの肚
がきまらないで、互いに、諜報戦
や神経戦に暮れていたままであった。 ところが、この期間に、もっとも活躍していた人物がある。それは信頼方でもないし、六波羅方でもない。一介
の商人 、例の朱鼻
の伴卜 である。 ある晩、別当
惟方 と三位経宗が、ひそかに五条の鼻の家をおとずれて、何か、談合したらしい形跡がある。また、鼻が密使となって、足しげく六波羅に通い、二人の書状を、御台盤所
の時子の手から、清盛の手もとへ届けたらしいことも察しられる。 思うに、こんな裏面工作や異分子的な者の動きが、禁門
と六波羅との 対峙 を、開戦の風説だけで、五日も六日も、極めてあいまいなものにしていた唯一の原因であったかもしれない。 けれど、二十六日の夜には、もう逼迫
しきった戦機が、両軍の間に、みなぎっていた。それは、堂上の評議やら、信頼一味の逡巡
などは、もう無視し去った空気である。禁中に充満している源氏の将士は、口をそろえて、 「あきらかに、六波羅は戦備を急いでいる。清盛の降伏を待つなど、愚の骨頂だ。兵士を討たいでなんとする。平氏の輩
を一掃するのは今だ」 と言い合った。そして、時局の焦点を、すべて、源氏対平家の対立へ、白熱化していた。 今月の九日以来、一本
御書所 の内に幽閉されていた上皇後白河の君は、そこへ忍んで来たたれとも知れぬ朝臣
たちにおん手をとられて、十八日ぶりで、冬の夜空を仰がれた。 「おん顫
き遊ばしますな。わたくしたちは、決して、御危害を加えに参った者ではありません。世間では、いい騒いでおります。今夜、夜の明けぬ間に、必定、大合戦になるであろうということを。・・・・どうぞ、すぐ、お輿
にお乗り下さい。仁和
寺 へ御供いたしますれば」 そう急きたてる者の顔を見ると、それは上皇もよく御存知の右少弁
成頼 であったので、おろおろなされながらも、いうがまま、お身を委
せられた。 成頼たち数人は、輿
をかついで、上西門の小門まで走った。そこで、上皇を御馬の背へ移しまいらせ、上皇のお頭
の上から、ただの狩衣
を被 かせて、駆け出した。一人が、馬の口輪を持ち、幾人かが前後について、夢中で、冬の夜を、急いだのである。 上皇は、御馬に馴
れないので、途中二度も、落馬された。それでも、やがて仁和寺の門を近くに見られたときは、 「虎口
をのがれた思いがするぞ・・・・」 と、落涙あそばした。また、ここの法親王は、上皇の弟君
にあたるお方でもあった。病人のように、よろない給うて、上皇は御室
の宮深くへ身を隠された。 |