〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/09 (火)  かんむり (四)

一方、紫宸殿の公卿僉議は、つづけられていた。
しかし、勧修寺かんじゅじ 光頼みつより の登殿を見、その硬骨な放言と、正しい揶揄やゆ を浴びてから、信頼は上座にいる襟度きんど を失ってしまうし、議事の熱意も沮喪そそう して、まったく、しどろもどろな集議に終わってしまったことは是非もない。
議題の主なるものは、その後、各地で追捕した信西しんぜい の子息や縁類の処分だとか、また、対六波羅ろくはらの方針などであったが、積極的な発言は、たれの口からも出なかった。
ひとり、例の伊通卿これみちきょう が、今日もよくしゃべってはいた。そして時々、人を笑わせながら、
「まあ、極罪ごくざい の者でも、遠流おんる ぐらいに、とど めおいてはどうであろう。もう、打首は、たくさんじゃ。斬れば斬るほど、人間の生命いのち を安価にするだけで、なんの示しにもなりはしまい」
と、巧みに、死罪をなだめていた。
たれは出雲へ。たれは下野しもつけ へ。たれは伊予へ。などとなんとはなく、流罪の地が決められたぐらいで、やがて集議は散開を告げ、十九日の日も暮れてしまった。
すると、その夜、
「清盛が六波羅へ帰ったそうです」
と、衛府えふ の武者から知らせがあり、また、夜半近くになって、
「六波羅の兵が、清盛を迎えて、にわかに、軍備をととのえ始めておるとのこと」
という飛報もはいった。
信頼は、夜通し、眠れなかった。彼はこのところずっと、清涼殿せいりょうでん朝餉あさがれい に寝泊りしていた。そこは、常々つねづね 、天皇が女房の陪膳ばいぜん御膳おもの を召し上がる部屋なのである。
惟方これかた に、ちょっと、来てくれと、いうて来い」
淋しさにたえないで、夜半ごろ、かしず きの女房を、萩の戸へ見せにやった。ところが、いつもそこにいる惟方が、その晩にかぎって、見えないということだった。
「では、経宗を呼べ」
と、夕顔ノ三位を、迎えにやったが、その経宗も、当夜は、内裏にいないという。
しかし、とこうする間に、夜は明けて、六波羅方の襲撃もなく、藤壺ふじつぼ桐壺きりつぼ の木々の朝霜に、朝の小鳥たちがいつものようにさえず りはじめた。
信頼は、北廂きたびさし朝陽あさひ を見てから、初めて、ぐっすりと、寝入ってしまった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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