「あ、これは、兄君で・・・・」 「兄と呼ぶか。そちはなお自分を、この光頼の弟と思うているのか」 「仰せまでもございません」 「ならば、紛
れもなき肉親じゃ。肉親なれば、弟の痛みは兄の痛み。そちの大罪は光頼の大罪。わしは、恥ずかしい。身のおきばもなおほど、苦しいぞ」 「面目次第もございません」 「──
と、そちの良心は、知っているのか。知りつつ天魔に魅入られたか」 「・・・・・・」 「いやしくも、検非違使
別当 という重職にある身が、右衛門督の車のしりに乗って、信西
入道 の首を見るため、人目も思わず、神楽
ケ岡などへ、ようのめのめ参ったものだ。それらのうわさを聞くにつけ、この兄は、身のちぢむ思いであった。いや、さまで愚かな弟ではなかったのにと、人を疑い、この耳を疑うていたぞい」 「・・・・・・」 「わが家には、まだかって、悪名の者は出していなかったのに、初めて、そちのようなばか者を世に表わしてしまった。亡き父君やなお世にある老母のお心も思え。──
いったい、あんな浮薄な徒にくみして、何を、求めようと考えたのか」 「わたくしの誤りでした。ここ数日の信頼の挙動を見、今は、悔いているところです」 「おう、それが真実ならば、主上、上皇のおん身を、一刻
も早く、おつつがなき他所
へお遷 しまいらせるがよい。・・・・せめてもの、おん詫
びに」 「はい」 「いたずらに、日を過ごさば、大弐清盛も、六波羅に帰り着き、軍勢をととのえて、ここへ火を放たんも計り難い。一時も早く、信頼たちの眼をかすめて、黒戸御所、また、一本
御書所 の内より、天皇、上皇のおん身を扶
け出し参らすような工夫
をせい」 「きっと、致しまする」 「くれぐれ、かれらのような暴悪な者と、末路をともにしてくれるなよ。よいか、弟」 そのとき、朝餉
ノ間 と呼ぶ部屋の櫛形
の窓に、人影がさした。光頼が、今のはたれかとたずねると、惟方が答えるには、 「あの部屋には、このごろ、右衛門信頼が起居しておりますから、おそらく、信頼に侍
いている女房でありましょう」 と、いうことだった。 光頼は、憤然として、 「君をば、黒戸御所に幽閉して、自身は、内裏の女房を侍
かせ、朝餉ノ間に起 き臥
ししているとは、いよいよあきれた男である。眉目
は貴公子らしくても、信頼などは間違って名門に生まれた無頼漢にすぎぬ。お汝も、いま眼が醒めてくれるなら、まだ罪は軽くてすもう。返す返すそんな者と、一つになって、尊い生命を、粗末にするではないぞ」 と、愛情を込めて諭した。 惟方も、今は非を知って、悔悟
の涙に面をぬらした。両手で顔をおおいながら、何事かを、兄に誓っていた。 |