〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/08 (月)  かんむり (二)

左衛さえ 門督もんのかみ 勧修寺かんしゅうじ 光頼みつより は、ぬくっと立ったまま、殿上を見まわして、
「あな、不思議・・・・主上のおわすべき御座みくら には、江口の浮かれ みたいな妙な若者が座り込み、もっと上座におらるべき左大弁さだいべんの 宰相さいしょう や、長上ちょうじょう たちも、みな背をかがめて、末座に小さくなっておられるが。── これはそも、妓院の酒飲み場所か、野良のら の車座か、よもや宮中ではあるまい」
と、にがにがしそうに言い放った。
信頼は、うつ向いてしまうし、列座の公卿は、しびれたように、 すく んでしまった。
勧修寺光頼は、信頼の母の兄にあたる人であり、また惟方これかた にとっては、実の兄であった。
のみならずこの人は、公卿ながら大豪の人物で、日ごろはめったに物議には加わらないが、動けば何をやるか知れないと、おそ れられている者であった。
「あ・・・・。勧修寺殿でおわすか。お待ちしておりました。お着席を。どうぞ、お着席を」
信頼のそばから、一人が立って、こうみちびくと、光頼は、くわっと、睨めすえて、
「では、やはり宮中か、ここは」
「はっ・・・・」
「宮中なれば、礼も席序せきじょ もあろうに、あれなる白粉をつけて若公卿は何者だ」
「近衛新大将兼右大臣信頼卿でいらせられます」
「そんな者を は知らん。近衛大将に、信頼などという者はいない。おそらくは、右衛門督信頼であろうが」
「は、さきごろ、 もく になられまして」
「ばかな! どこに、除目の綸旨りんじ を賜る主上がおいで遊ばすか」
持っていたしゃく で、光頼は、自分のひざを烈しく打った。そしてまた笏は、かれの真っ直ぐ伸ばした手と水平に、信頼の顔を指していた。
「信頼。おもと右衛門督うえもんのかみ 、この光頼は、左衛門督さえもんのかみ である。席序せきじょ から申せば、おもと はわしの下座しもざ にいなければならない。しかるに、そんな上座に着いて、わしをどこへ座らせる気か」
「・・・・・・」
「また、今日の公卿僉議とは、何を議すつもりか。列座の諸卿にも きたい。出席せねば、死罪に処すというほどな廟議とは、そも何なのか」
「・・・・・・」
「朝議には、かならず、主上の出御を仰がねばならぬ。── 主上はいずこにおわしますぞ」
「・・・・・・」
「たれも答えのないのは、どうしたものか。あら、かい な」
語気は、烈しさを加え、面は朱をそそいだ。そしてかれは跫音あしおと も荒ららかに小蔀こじとみ の廊を通り、荒海の御障子の北、はぎ の戸の辺りまで行って、
「惟方っ。何しておるっ」
と、物陰に身を隠していた弟の惟方を見つけて、しかりつけた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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