〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/08 (月)  かんむり (一)

清盛が六波羅へ帰ったのは、十七日夜半とも言われ、また十九日ともする説もある。
十三日に旅先で飛報を受け、十四日、紀州の切目王子から引っ返したとすると、十七日着は、当時の旅程から考えてすこじ早すぎる。十九日であったろう。
── とすれば、宮中で公卿くげ 僉議せんぎのあったその日のことである。
公卿詮議とは、公卿全員の大集議をいう。
信頼のぶより惟方これかた などの首謀者は、さきに叙位昇官の式を行って、まだ宮廷に顔を見せない公卿達を誘い出しにかかったが、それでもなお出仕しない者が少なくない。
きのうきょう、六波羅には、地方武者の駆け集まる者が、ぼつぼつ入り込んでいるとも聞こえ、また、大弐清盛も、京へ向かって、引っ返してくる様子とも聞こえていたが ── 信頼は大して気にしていなかった。
むしろ、かれが気に病んでいたのは、
「あれもまだ出仕せぬ。だれもまだ、顔を見せぬが」
と、いうことだった。当然、それぞれの座にいるべきはずの公卿大官が、依然、出仕を怠っているのは、かれにとって、なんとなく、紫宸殿ししんでん の第一座に、落ち着きき切れない気持だった。
(それらの公卿は、自分に、反意を示すものか。あるいは、都合上の欠勤か、旗幟きし を明らかにせよと、問う必要がある)
かれは、こう結論を持って、その日の僉議に、百官の登殿を求めたのであった。
召集の状には、
(故ナク参代ヲ怠ル者ハ死罪ニ処スデアロウ)
と、あった。
さしもの厳命に、内心、信頼の暴挙に反感を抱いていた者も、日和見ひよりみ 主義の者も、多少の正義派すらも、その日はやむなく参内した。
信頼は、紫宸殿のがく の高きに座して、冠のかむり方も、天子の真似まね をし、天子ならでは召さない小袖こそで に赤い大口おおぐち を重ねて、列座を見おろしていた。
稚気 ── と、眼のすみ からそれを笑っているようなのは、例の伊通これみち きょう ぐらいのもので、多くの人は、
(これは怖ろしいことだ)
と想って、信頼の思い上がりに、眼をそばめ合っていた。
こういう人々の心理では、何が議されても、真実の発言があるわけはない。信頼と左右の者の顔つき通りに二、三の廟議びょうぎ が運ばれて行った。
すると、少し遅刻して、あとから、姿を見せた人がある。
その人は、廊を渡らず、わざと庭上を歩いて来て、かい を登った。見ると、小坪の一隅いちぐう には、その人が連れて来たに違いない供の雑色が五人ばかり、装束の下によろい を着こみ、太刀を横たえ、うずくまっている。
「や。・・・・勧修寺かんじゅじ 殿どの が」
「いつにないお気色けしき ではある」
「それに、物の具つけた供など召されて」
声にこそ、出さないが、そうした驚きが、さっと列座を流れた。わけて、右衛うえ 門督もんのかみ 信頼のぶより の顔は、薄化粧しているだけに、まるで白紙しらかみ のように、血の色を失った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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