いかに死は覚悟のまえと思っても、眼の先に、敵を知ると、人びとは、顔も硬
ばり、弓を握る手も、知覚を失っていた。 「かたまれ、寄り合え」 清盛は、低い声で、前後へ言った。 「一団になって、なるべく、敵の手薄な線を目がけて駆け抜けよう。決して、戦うのが目的ではない。目的は、京へ行き着くことだ。──
重盛、迷はぐ れるなよ」 さすがに、子の重盛が、気がかりらしく、振り向いて言った。しかし、重盛には、そういう父の方がよほど心配だった。さっきから、父の後ろ姿を見ているのに、馬上、厳いわお
のように、泰然としているが、四十台になってから、父はまた少し肥り出している。母の弟の非蔵人ひのくろうど
時忠の話にも、父は性来、余り武勇の人ではないらしい。保元の乱の時も、強い相手に出会うと逃げてばかりおられたと陰口をきかれているが、実際、そうかも知れなかった。先天的に、どこか運動神経の鈍にぶ
いようなところがあり、日常坐臥にちじょうざが
にもそれはうかがわれる。そこへ重たい兜かぶと
や鎧よろい をつけては、矢さばきも敏速を欠き、打物など抜きかざしても、自由に敵と渡り合えないのも無理はない。 「父上、わたくしには、構えてお心づかいは無用です。それよりも、あなたさまこそ、駈け始めてから、足踏あぶ
みを外はず して、お馬から落ちないようにしてください」 「ばかをいえ」 清盛は、一笑に付して、 「重盛、男ざかりの父に向かって、今の一言は無礼だぞ。だまっておれのあとに従つ
け。おれが一同に合図をするまで、めったに駒こま
にムチを入れてはならん。おまえはまだ戦場馴な
れていないからな。敵を見ない前に強がっている者ほど、敵を見ると、あわてるものだ」 と、反対に戒めた。 そうして、百騎一団、駒の脚を忍ばせて行くと、かなたから、焔ほのお
の旗を打ち振るように、手に手に松明たいまつ
を持った武者の影が駈けて来るのが見えた。 「すわ」 と、こなたは、一せいに、弦つる
を立て並べた。だが清盛は、手を振って、制した。 待て待て、まだ射るな。敵は、何か喚わめ
いているぞ、いい分を聞いてみろ」 なるほど、松明を持たない騎馬武者も交じっていて、馬上からしきりにものを言っている。 「それへ渡らせられたは、熊野路から都へ引っ返させ給う大弐だいに
清盛どののお身内ではありませんか。大弐どのは、その中におわさずや」 こう、あきらかに、聞こえたので、清盛は、駒を前に進めて答えた。 「清盛は、こう申す者だが、して、なんじらは、何者だ。このあたり一帯の夜陣は、悪源太義平の兵ではないのか」 「おう、おつつがなく、いらせられましたか」
と、武者は、急いで、馬から降りると、清盛の前へ来て、礼をほどこした。 「これは、このたびの変を聞いて、途上の御難儀もあらんやと、伊勢の国から馳は
せつけました古市ふるいち の伊藤武者景綱の手勢です。源氏の者ではございません」 「や、伊勢平氏の輩ともがら
か」 「去ぬる保元の合戦にも、伊藤五、伊藤六など、お味方に参じ、伊藤六は、源氏の矢に中あた
って討死いたしましたが、なお、伊勢の古市、阿濃津、松阪、鈴鹿すずか
などには、おん父忠盛卿の御恩を忘れかねている平氏の余類が、常に、事しあればと、六波羅を遠くに見て、いつでも馳は
せ参ずる心を持っておりまする」 「ああ、そうか。伊勢は平氏の発祥はっしょう
の地であったよな」 「されば、今度もたちまち、伊勢より馳せつけたお味方は、およそ千人は数えられます。そのうち、二百騎は、六波羅に詰め、四、五百騎はなお途中にありましょう。──
自分はとりあえず、手勢三百をしたがえ、何よりは、お帰りの途中こそ不安なれと思い、これまでお迎えに出ておりました」 「やおれ。さては阿部野に伏兵とは、源氏の兵ではなくて、味方の伊勢武者どもであったのか。・・・・ああ、何もかも、これは、自分の徳ではない。父忠盛が生前から地方に徳を施して遺のこ
しておかれた余徳であった。面目ない、面目ない」 清盛は、事の僥倖ぎょうこう
に、歓喜しながらも、父が生前、黙々と培つちか
っていた土壌の余恵を今ほど身に知ったことはない。 重盛、家貞、そのほかも、狂喜にくるまれた姿である。その夜は、恵綱の陣に迎えられ、夜明け前に、阿部野を立った。
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