〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/04/07 (日) 清 盛 帰 る (一)

武者たちは、枯れ野の中に、かたまりあった。清盛を真ん中において座り込んだ。
「ひとまず四国へ落ちて、再挙を計ろうと、これまでは来たが、ここへ来て、おれはまた考え直した。四国へ渡ろうが、中国へ行こうが、それも決して、安全ではないからだ」
言っている」語調は、屈託のない、いつもの彼のままだった。
「──都の乱をよそに、身一つ安住を求めたところで、諸国の地侍も、卑劣な平氏の主従かなとさげす んで、心からの合力などはしてくれまい。かえって源氏や信頼への徒へ、心を寄せさせる結果になる」
一応、聞き入っている顔はしているが、兵たちは、清盛が初めから四国へ落ちるつもりなどはないことを、たれもが知っているふうであった。
清盛は、彼らのまゆ にたいして、自分の多言を恥じて来た。考えてみれば、彼らにとっても、個々、ここは生死の分かれ道であり、いくら自分を大将と信じていようと、今さら、びっくりするようなうかつな気持でいるわけはない。逃げたい気持なら、ここまでの間に、いくらでも脱走する機会はあったはずだ。多言は、彼らの節操と、ひそかな決意を、侮辱するようなものである。清盛は、そう気がついて、
「いや、多くを言うまい。今は言っている暇もない時だ。とにかく、たとえ百騎のこの小勢でも、心をあわせて、突き入れば、都へ入れぬことはないと思う。おれが六波羅へ帰ったと聞こえれば、たちまち、一族も群れ、味方も寄って来よう。── どうだ、みんなの考えは」
と、その決断は、兵自身の、叫びに任せた。
兵たちは、異口同音であった、一人として、たじろぐ者はなかった。途中で加わった湯浅宗重や田辺の熊野兵まどを除いては、彼らの妻子も、みな京都の内にいるのである。
「異存ないか」
清盛は、念を押した。そして、そのあとで言った。
「だが、ここはまた、一難がある。いま聞けば、行く手の阿倍野あべの あたりに、源氏の悪源太義平が、手勢三千を伏せて、我らを待っているという。我にまさ ること、三十倍の大敵だが」
すると今度は逆に、兵たちが清盛を励ましていった。もとより深く覚悟するのでなければ、都の土は踏めますまい。妻子の居る所、主人の赴かれる所、たとえ何千の敵がはば めようと、一死をかけて、ひる みは致しません。ござんなれ悪源太、六波羅武者の弓矢のほどを見せてくれましょう。と口々の気概であった。
清盛は安心した、今はほんとに、はら がすわった。さらば、馬にも水を え。我らも腹ごしらえして、草鞋わらじ 、物の具のひもをひきしめ、阿倍野を夜半にかけて駈け抜けようぞ、といい合わせた。
充分に、身を休めて、わざと、たそがれ近くにそこを発した。
住吉の浦を浜づたいに行く百騎の影に、冬の が、赤々あかあか と、薄れていた。大和川を越えると、もう夜であった。
「近いぞ、阿倍野は」
いまし めあって、物見の二、三騎を先に立て、やがて墨江すみのえ百済くだら のあたりまで来ると、行く先に、火光が見えた。ぼうと、野末の幾ヶ所にも、赤いもや が煙っている。たしかに軍勢の夜陣しているかがり火にちがいない。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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