旅の狩衣
に具足を着こみ、清盛、重盛父子以下七十騎、目切王子から一転、蜿蜒えんえん
と、北へ指して引っ返して行く。 心の内は知れないが、さまでに急ぐ風でもない。 人びとはみな鎧よろい
のどこかに、梛なぎ の小枝を挿さ
していた。目切王子の大木である。熊野詣まい
りの人びとはよく魔除けといって持って帰る。禰宜ねぎ
が餞別はなむ けたものであろう。 いやなお、すばらしい土産をくれた。それは清盛の馬のの鞍くら
ににも、重盛や筑後のや、列の中の数名の鞍にも、ゆっさりと、鎧のひざを埋めて結いつけられていた。 濃緑の葉に、小さい杯ほどな黄金色こがねいろ
の実が、香しく、ふさふさと付いている橘たちばな
(みかん) の枝だった。 それを蜜柑みかん
と呼びはじめたのは古くないが、橘の木は、古事記に見えるころから日本に移植されていた。それもまだ紀伊の一地方にしか。こうは実みの
りを見せていない。都の貢みつ
ぎには上のぼ せて来ても、庶民はその甘味も香にお
いも知ることは出来なかった。 清盛や重盛たちでも、これの珍しさには眼をみはったろう。つつがなく都へ持って帰れば、珍重ちんちょう
して措お かない正月の奢おご
りになる。公卿の邸宅などへ、ほんの一枝を贈り物にやっても、 「おお、非時香果ひじのかぐのみ
よ」 と驚異されるに違いない。 山の神職たちは、清盛がただの朝命で、急に帰洛の都合つごう
になったものと思って ── 贈ったのであった。 「これは、橘本きつもと
の南谷の橘たちばな です。むかし白河法皇が熊野御幸のとき、橘本王子きつもとのおうじ
の御社に御通夜あって ── 橘の本もと
に一夜の旅寝して入佐いるさ の山の月を見るかな
── と御製あそばした由緒もあり、大弐どのとのお由縁ゆかり
も浅からずと思うて、取り寄せました。旅路のおん慰みにもなろうかと」 白河法皇。 血の中で彼は呼んでみる。 世間はもう自分を、白河の子、白河の落胤らくいん
と、きめているらしい。それでいい。また、それが真実なのかも知れないのだから。 さきには、江口での一夜、母の女御にょご
の会った。ここでは、白河法皇の由縁に会う。まさに御縁がないとはいえぬ。 いま、一族の浮沈を見、生死のさかいを行く身。過去の恩愛おんない
をこそ思え、父母の旧生涯などなんで問おう。世の人が、白河の子なりというなら、それも大いによし。また、無名僧の胤たね
だというのなら無名僧の胤だといわしておけ。人生四十の坂、そろそろそんなわずらいに関かか
ずらっているまはなくなって来た。 「たとえば、この橘の実・・・・」 かれは、一つをもいで、馬上で皮をむき始めた。 始めの種子を、たれが、この地上にポトと落としたといえよう。異国のいかなる土に芽ざし、いかなる海を渡り、いかなる人の手で日本の土に有縁うえん
を結んだことやら。── 橘の実は考えもしていない。しかも、香か
ぐわしく、瑞々みずみず と、人の味覚に青春を注そそ
ぐようなこの果肉はどうだ。── じじがよくいっていた。天地の生んだ一個のもの。たしかに、それは非時香果ひじのかぐのみ
のことだ。橘だ、いやこのおれだ。 「おいっ。美味うま
いぞよ」 清盛は、振り向いて、列の後ろへ、急にどなった。 「重盛も、じじも、たべてみい。どうせ、都へは持てぬ橘よ。・・・・おういっ、みんなも食く
え、鞍に付けていない者は、付けている者へせがむがよい」 そして清盛は、手の一個を食べ終わると、鞍のまわりからなお幾つももぎ取って、列の中ほどへ、鞠まり
のようにほうり与えた。 うまく、受け取って、 「やあ、君の恩賞」 と、ひとりの郎党が見せびらかして食べ出した。すると、前の方でも後ろでも、子どものようにそれをせがむ声やら手に受け取る歓びが沸き立った。ちょうど陽ひ
も高くなりそめた冬の朝空である。黄色い無数の球が一列の騎馬勢の上をぽんぽん飛んだ。明るい哄笑哄笑こうしょう
と寒烈な酸味を含んだ匂にお いが一つになって流れた。 印南いな
、塩屋、御坊など、駅路うまやじ
の宿々しゅくじゅく を見過ぎて、夜はおそく野営し、朝は早く峠を越えた。そして紀き
ノ川も越えた日、後ろから田辺の僧兵二十騎が追いついて来た。熊野熱湯湛増が、清盛の手紙を見て、 「途中のお見送りに」 と、味方によこしたものである。 また同日、山中越えでは、泉南の湯浅権頭ゆあさごんのかみ
宗重が、家の子三十騎をつれて加わった。 何故の味方ぞ、と清盛が尋ねると、 「父の乗宗は、むかし刑部卿ぎょうぶきょう
(忠盛) どのから、御恩をうけた者です。このたびにわかな御帰洛と聞き、必定、都の興乱に駈け給うならんと、かくは道に、お待ちうけ申したるにて候う」 と答えた。 そしてさらにこの者の口から、行く手に横たわる一難のあるのを聞いた。 (──
大弐、都へ帰る!) といううわさは、熊野街道を一日の間に伝わって、早くも、都から義朝の子悪源太義平が、精鋭三千騎をひっさげて、難波ノ津の西、住吉浦と天王寺のあいだ辺り
── 阿倍野あべの の丘や野に埋兵まいへい
の計をしいて、待ち伏せているというのである (すわや、目前に大敵) と、清盛も体の熱くなるのを覚え、重盛も若い眸ひとみ
を行く手の空へ燃やした。 もう味方も皆、それを知った。従者の端の端まで知っているふうだ。無用の偽装を捨て、彼らの去就を問う時であろう。── 清盛はしぐそう思い決めたらしく、 「おうい、馬を休めろ。皆は、残っている橘でも食べろ。──
なに、もう乏しいと、惜しむな、一つの橘は、幾片いくひら
にも分けられよう。一片ずつでも分けて食べ合え。── 食べ納めだぞ」 と、命令の中で冗談をいい放った。 そして、およそ百騎の面々の動揺を見ていた。
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