冬の海は、静かに、暮れかけていた。落日の薄らぐほど、青黒い魚の肌
みたいに変ってゆく。そして暮れ深むほど、外洋の波濤はとう
が白く眼に入って来る。寸秒のあいだも休止なく変ってゆく無限に大きなこの世の回転が人の子の肉眼にもありあり見えるような時刻でもあった。 紀伊きい
半島はんとうの長い陸地の線が、南へ南へと、山を重ねてゆく間に、池ほどな内海を抱いた一宿場がある。そこの切目村きりめむら
にも、切目川に沿って、わずかな灯がチラチラついた。 「日も暮れたなあ。ああ、暮れてしもうた」 清盛は、切目神社の丘のあたりの暮色へつぶやいた。 今日という日の暮れるのを、こんなにまで、痛嘆をもって惜しんだことは、彼の四十二年の過去にもない。 その今日とは。 都では、信西入道が首斬き
られていた日。 ── この旅先では、清盛が、六波羅の「急使によって、突然、京師けいし
の大異変を知った ── 十二月十三日という日である。 急使の早馬と出会ったのが午ひる
ごろ。 ── そして、あれから。 清盛の一行は、ただ驚愕きょうがく
に立ち騒いでいる場合ではないとし、ともかく、切目きりべ
王子おうじ の御社みやしろ
を借りて、評議しようと、ここへ登った。嫡子重盛、老臣の筑後家貞、そのほか頭立かしらだ
った侍以下、すべて車座になっていた。 「さて、一生の大難、胆きも
をすえて、ただ一つの最善を選ばねばならぬが、ここはそも、どうしたものか。重盛も、思案を申せ。筑後もその他の者も、言葉をはばからず、おのおの、よしと思う通りを言ってくれい」 さすがに、日ごろの清盛とも見えなかった。こんな沈痛な彼をおそらくたれも知らないだろう。常にはひどく楽天的な、また強情者の象徴に見えたりする若い時からのあの毛虫眉けむしまゆ
も、今日は容貌ようぼう の暗憂を、より濃く翳かげ
らすだけの物みたいに面付せであった。 ところが、、日ごろは池ノ禅尼の気にもかなうほど、柔和で端正なあの重盛が、今日は案外、毅然きぜん
としていた。 「父君のお考えからまず仰せくださいまし。わたくしたちは、生死、ただ父君と一つと覚悟するほか、他に雑念ぞうねん
もございません」 そこで、清盛は二つの策を出してみた。ところが、重盛は反対である、筑後もうなずかない。── とこうする間に、冬の日は、すぐ暮れていたのである。 「今は一刻も惜しまれるが、身をも休め、眠りもとらねば、あすが続くまい。かなたの社家しやけ
にはいって、炉ろ べりの馳走ちそう
にでもあずかろうよ。── 筑後、従者たちにも、炊かし
ぎさせて、寛くつろ げというがよい」 ちょうど神主たちが迎えに来たのを機しお
に、清盛は先に社屋の内へかくれた。かつては、白河、鳥羽法皇なども、幾度となく、熊野へ御幸されたことがあるので、この切目王子の丘には仮御殿かりみどの
さえ建っていた。禰宜ねぎ の家は、その柵さく
に隣した大きな山家造りだった。客部屋にさえ、都人には珍しい炉が掘ってある。清盛は、榾火ほたび
の前にすわりこんで、寂然と、遠い潮鳴りにくるまれていた。 |