「よう飲むの。義平。酒は好きか」 「好きです」 「恋いは」 「まだ知りません」 「都へは、なにしに来た。一と功名の所存か」 「功名は後のことです。父の難を聞いて、馳
せつけぬ子がありましょうや」 「はははは。東男あずまおとこ
らしい。竹を割ったように言うわ」 信頼は、黒豆を並べたような歯を見せて笑った。男が、かねを染め、薄化粧しているのが、義平の眼には、気味悪かった。 「強げにも見えぬが、よい男ぶりよ義平は。のう、そちも父とともに、早く昇殿をも許されるような身になれ。信頼が取り立てて得させように」 「・・・・」 ニヤニヤと、義平は、笑った。 信頼が武者を見る眼は、飽くまで摂関家せっかんけ
の番犬視を脱ぬ けていない。藤原氏万能の習性がまだこの若い頭脳にさえ根を張っていた。かれが義平に与える言葉も、餌え
をもって犬の子を馴らそうとすることによく似ている。 「義平、何を笑う。出世はしたくないのか」 「いえ」 と、義平はかぶろを振った。 「保元のときの、叔父の言葉を思い出していただけです」 「保元のときの?
・・・・ 叔父とは」 「鎮西八朗為朝は、叔父に当たります。保元の乱のおり、左府頼朝公には、叔父為朝に、蔵人たるべしと、にわか除目をなされました。叔父は一笑して、敵を前に、鼻ぐすりの蔵人など得てなにかせん。なりたい人はなんいでもなり給え、と敵陣へ駈け入ってしまいましたとか。
・・・・後に、鎌倉で聞きましたが、それを今思い出していたのです」 信頼はいやな顔をした。 驕児きょうじ
の機嫌にさわったことは確実である。惟方、成親なども、じろと、棘とげ
のある一瞥いちべつ を投げるし、父義朝も
「よく言った」 ともいいかねて、取りなしのつかない空気に耐えていた。 独ひと
り杯に向かってうなずいていたのは藤原伊通ふじわらこれみち
だけだった。 幸いなことには、いや折角な饗宴きょうえん
の所へともいえよう。この時、紀州路から早馬が一情報をもたらした。旅先にある清盛の動向である。 すでに、信西しんぜい
一族を滅ぼし、信西系の者は、なべて君側と政局から追放し去った今日、余す敵は、清盛一個といってよい。 留守の六波羅には、清盛の一族と家中もいるが、若輩の義弟や末弟や幼児女房のたぐいで、彼なくんば、怖おそ
れるほどま勢力というものは見当たらない。偵報によれば、それら近親さえ、清盛の妻子を守って六波羅を立ち退いたとも聞こえていえる。── 信頼が軍に令して、強し
いてそれまでを追究しないのは、 (待て、もうしばし、清盛の肚はら
を見定めてから) という微妙な局面のふくみであった。また、撃つも捕えるも、必要に迫れば、いつでも一指の令でこと足りるとしていたからでもある。 ただ、信頼以下すべての関心と疑惑は、清盛の決意いかん?
その向背は? 動向は? ── という一点にかかっていた。 (おそらく大弐清盛も、熊野路の途中で、立ち往生の態だろう。手も足も出せまい) これはたれにも言えて、たれにも想像出来る見解だった。 しかしその清盛が、都の乱を知った途端とたん
に、どうその足を向け変えるか。対処して来るか。── となるとたれにも容易に予測はつかない。 (降参して出るほか策て
はあるまい) といい誇る者。また、 (むかし、日吉ひえ
山王さんのう の神輿しんよ
にさえ、矢を射たほどな男、我武者となって、捨て身の一戦を挑いど
んで来ようも知れぬ) と、怖おそ
れをなす者。あるいは、 (いやいや、いかな我武者での、それはやれまい。留守の六波羅は弱体だし、都の内外うちそと
に義母や妻子も残してあれば、いわば人質を置いてあるようなものよ) と、多寡たか
をくくる見通しも多い。 一面には怖れ、一面には驕おご
り、彼らが漫然と無策な日をこうして過ごしていた証拠には、その日、紀州からの諜報ちょうほう
を手にしても、なお殿上に晏如あんじょ
としていたことでもわかる。 「清盛は、どうやら都へ引っ返すらしい様子とある。しかし、今日の早馬では、まだ、確しか
ともわからぬ。清盛の肚はら も分からぬ。委細は、次の飛札ひさつ
に ── と報せて来ただけの書状であった」 しばらく、席をあけて、別殿にはいっていた信頼と惟方は、もとの座に着くと、左右の人びとへ、そう告げ渡した。人びとは眉まゆ
をひらいてまた杯を忙しくした。信頼も、醒さ
めかけた面に酔いをとり戻しながら、 「ときに、鎌倉の小冠者は、このことを、どう考えるか」 と、庭上の義平へ、試問した。 義平は、諸人の騒ざわ
めきの中に、あらましを、聞いていたので、率直に、 「もし、わたくしに一手の勢せい
をおかし給わるなら、彼が都へ戻る先に、阿倍野あべの
あたりまで出撃します。彼の装備も人数も持たぬ途中を擁よう
して、一戦に好餌こうじ を捕え、大弐どのの首級しるし
を持って帰洛いたしましょう」 と、やや上気した面を上げて、生真面目に述べた。その真面目さが、おかしいのか、嘲笑ちょうしょう
の声が堂上に流れた。 不思議な国へでも来たように、義平は、きょとんと、眼を澄ましてしまった。 |