〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/03/31 (日) しん 西ぜいあな り (二)

「そも信西は、いずこに隠れつるぞ」
「なにはおいても、信西をこそ、追い求めよ」
信頼と惟方これかた たちは、もう朝廟ちょうびょう の高きにすわってうた。そして武者義朝を、朝夕にせきたてた。
早くても、令は、綸旨りんじとな えられている。
(いったい、信西は、どうしたのか?)
たれにもこれはなぞ であった。十日、十一日、十二日になっても、よう として知れなかった。
わからないはずである。とう の信西は、乱の直前に、凶変をさと って、洛内を脱していたのだ。
もっとも、かれが知ったのも、その寸前である。常日ごろ、市中に いておいた放免 (密偵) が役に立ったのだ。だが余りに急で、なにを備えるひまもない。妻の紀伊ノ局を、美福門院の内へ避難させ、同時に、御所の宿直とのい している息子たちへも、家人けにん を走らせたのだが、その家人が、院の御門へ行き着かない間に、四隣の夜はもう戛々かつかつ と、馬蹄ばてい の音を起こしていたのである。
足もとから鳥の立つように、信西は馬の背につかまった。身に何一つまとう暇もあるはずはない。
無我夢中、ただ洛外の闇へ向かって、走り出した。
従者四名が、影ばらばらに、主人のあとを追いかけた。
大和の田原の奥に、かれの所領地がある。
そこをさして、宇治路から信楽しがらき の方へ逃げ落ちて行った。
事変から四日目の、十三日の昼である。── だぶん主人は所領地の山奥へでも ── と察して、人知れず都から慕って来た下部しもべ成沢なるさわ 熊人くまと が、信西について落ちのびた従者の成景と、ばったり、木幡こばた とうげ で行き会った。
「お、成景殿ではないか、わがおあるじ は、どこにいましょう。御無事でおわせられまするか」
熊人に訊かれて、成景は、どう答えようかと迷った。あとを慕って来たじょう はくんでやりたいが、しかし下臈げろう ににはやはり聞かさないでおくに限る ── と思案して、
「いや、御無事だが、この辺にはいらっしゃらない、それより、都はどう変わったか。御子息方や、北の方の御消息は知らないか」
と、あべこべに、訊くことだけを、つぶさに聞き取った。そして、熊人には口実を設けて、
「おぬしは、都へ戻れ」
と、追い返した。
成景は道を急いで、先へ行く主人の信西に追いついた。そして、下部の熊人から聞いた以後の都の有様を話した。信西は死灰のような顔色で、その一つ一つの事実にくちびる をふるわせた。
すると、道を追い返したはずの熊人が、血相を変えて、またこれへ戻って来た。都へ帰るつもりで麓近ふもと くまで降りて行ったところ、義朝の一将、出雲いずもの 前司ぜんじ 光泰みつやす が、兵七十騎ほどつれて、駆け上がって来るのを見たというのである。信西は、くわっと、眼をかがやかした。最期さいご を感じた生きものの眼であった。田原の部落はもうすぐだが、そこまで逃げ込んでみたところで、その先、のが れうべき自信はもてない。
「ううむ・・・・」 と、かれはうなった。 「妙計がある、そこの祠堂ほこら の裏に、百姓どもの鋤鍬すきくわ がある。藪根やぶね のない所へ、大急ぎで穴を掘れ、穴を」
なんか分らないが、命じられるまま、従者達は、五人がかりで大穴を掘った。
信西は、その穴の中へ、くびまで入って、あぐらを組んですわった。
「そこらの板きれ、杉皮、なんでもよい。わしの身を、箱形はこなり にかこめ。そして土を入れろ、かまわぬから、わしの身を生き埋めにせい」
その間に、かれは太やかな竹を持ち、中の を抜いて、自分の口にくわえていた。
たちまち、ひざが埋まり、胸が埋まり、首の辺も土で隠れかけた。
「おあるじ 。どうなさいます?」
「まだ、追捕の人数は来ぬな。── そこのがさ を、わしの頭に、かぶせろ」
「は。こうで」
「忘れていた。衣の綿をすこし抜いて、わしの鼻、耳などへ、軽く詰めてくれ。・・・・そして地面と平にまで、わしの頭も見えぬよう、土をかぶせて、その上に、あたりの落ち葉を厚く敷いておけ。── 呼吸いき をする竹の先を、かすかい出してな、あやま って竹筒の穴へ、物など入れるな」
「わかりました」
畢竟ひっきょう 、敵の光泰みつやす ばらも、この辺りを、あすまでは、よも狩りててはいまい。なんじらは身軽にまかせ、谷の底、峰のいただき、いずこなと一夜を忍び、朝になってからここへ来い。あたり安全と見えたら、わしの身を掘り起こしてくれい」
従者たちは、いわれた通りに、土の跡を、落ち葉や枯れ柴で巧みにごまかした。そして思い思い、ましら の散るように、姿をかくした。
さて、約束のあくる日の朝。
従者五人のうち、二人までが、カサコソとここへ帰った。気にかかる生き埋めの主人の様子をうかがいに来た。
二人の従者は、腰を抜かしたように、そこへすわってしまった。
「あっ。掘り起こされている!」
泣く泣く里人さとびと に訊いてみると、源氏の光泰の手勢は、きのう、そう多くの時も費やさないままに、樵夫きこり の密訴で、この所にむらがり、たちまち、土の中から信西入道のえり がみを引きずり出していたというのである。
「そ・・・・そして。── 入道どのは?」
「わしら、さと の者が、わいわいと見ている中での、追討の武者の太刀に、ばさとお首を打ち落とされなすったぞい。南無なむ ともいわず、討たれなされた。他愛ないもんじゃ。今ごろ、お首はもう都であろうが、胴はまだ、それ・・・・その穴の中に、捨ててある」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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