── 明けて、十日の洛内は、まだ殺伐
な気に満ちていた。町屋の店戸たなど
も開かないし、一般の人通りもない。 通るのは、血や灰ぼこりを、満面にこびりつけて、夕べのままな姿をした甲冑かっちゅう
武者むしゃ の群ばかりだった。 商戸でいながら平常通り朝を迎えていたのは、五条坊門の鼻の家だけである。鼻の伴卜ばんぼく
は、夕べから寝ていない。彼は夜っぴいてわが家の屋根の上に上っていた。そして烏丸や姉小路あたりから、巨大な火塵かじん
が黒けむりに噴き上げられるたびに、 「ああ、勿体ない・・・・黄金こがね
の火の粉だ」 と嘆息しては、見物していた。人命の犠牲にえ
を嘆じるのではなく、物質を嘆惜しているのだ。ひとの物でも、ひとごととは思えない彼である。 「さあ、これで、先は知らぬが、幾日かは、右衛門督うえもんのかみ
信頼卿のぶよりきょう の天下みたいなものになってしまった。変なものだなあ、どうも・・・・。
だが、変でもなんでも、信西入道亡き後は、自然、そうなってしまうだろう」 かなたが、下火になると、鼻は、さっそく明日の算用を考えた。無常だの、はかなさだの、そんな観念は、鼻の胸へ忍び寄れもしなかった。屋根上の烏からす
みたいに、彼の頭はくるくる忙せわ
しない。 「── さて、六波羅ろくはら
は、どう出るだろう。大弐清盛が留守では、討ち迎えもなし得まい。その大弐どのも、紀州路の旅先とあっては、手も足も出せっこない」 振り向いて、すぐ東の、六波羅の方をながめた。寂として、何の影も動いていない。が、その暗闇の内にある空気はおよそ分かる。手に取るように、鼻には察しがつく。
「そうだ、おれは商人。よくぞ商人に生まれける・・・・か」 屋根をすべり降りると、彼は、やや昂奮こうふん
している声で、 「お嬶かか
、お嬶。── 鹿七を起こせ。なに起きているとか。下僕しもべ
どもに言え、手車を出して、土倉つちぐら
の前へ来いと」 何か、昂たか
ぶると、地金じがね が出て、彼は自分に箔はく
をつけるために高貴から娶もら
った妻の梅野を、つい自分からお嬶かか
などと呼んでしまう。 土倉から、彼は、せっせと酒瓶さかがめ
を運び出した。そしてその幾十壺こ
を、三台の手押し車に積ませて、 「信頼、義朝様などのおられる御陣所へ、ほんの心祝いですと申して、お届けして来い。経宗様には、後刻、伴卜がお目にかかりましてと、申し上げておけばよい」 と、鹿七へ言い含めた。 こんな物を積んで外を歩くのは、まだ危険だと皆言った。わけて使いに立つ者は、渋ったが、 「ばかをいえ、武家仕えの雑武者であったみろ、さっそく、夕べは矢太刀の下を潜くぐ
っていなければならないのだ。その雑武者が、どれ程、妻子に腹いっぱい物を食わせていると思うぞ。これくらいな瀬戸際がが通れなくて、一人前の商人といわれようか」 と、鼻は商人しょうにん
冥加みょうが をならべたてた。そして使いの者を夜明けの往来へ出してやると、さて、梅野の給仕で朝粥あさがゆ
をたらふく食べ、彼は夜具を被かず
いて、寝てしまった。 |