〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/03/29 (金) 不 知しらぬ (二)

後白河上皇は、まだお起きになっていた。
上皇となられても、御年は三十一、お若いのである。お遊びもさかんであった。
その夜も ──
信西しんぜい の息子の俊憲としのり貞憲さだのり などを引き止められ、宿直とのい の公卿や近習を寄せて、法師ほうし 田楽でんがく の真似など御覧になっておられた。
宮中に伝わる古楽や管絃かんげん なども、何か殿上てんじょう にも飽かれ、楽人自身も、行き詰まっている趣がある。ところがたまたま、後月あとげつ の十六日、延暦、園城寺の僧どもが大勢やって来て、寺領の百姓の間で行われている田楽舞や法師舞などを、御覧に入れて帰って行った。叡山、三井の荒法師といえば、いつも強訴ごうそこわ らしさばかりが連想されるが、その日は、山法師でもこれくらいな粋も芸も持っておりますよと、隅に置けない余技を示したものであった。その野趣に富んだ俗踊ぞくよう 俗歌ぞつか に近いものが、またひどく上皇にはおめずらしく、新鮮な感じをお受けになったものらしい。
「貞憲は、忘れたか。あの舞の手は、こうぞ。あし は、こうして。・・・・いや、そこの歌のふし はちがう。まいちど、やり直せやり直せ」
上皇は、夜の けたのも、お忘れのようだった。
冬の夜の御所は、奥深いところほどいとど寂しく、その代わりに、大殿廂おおとのびさし の内では、人目も拘束なく、ごく側近のお内輪うちわ だけ、こんなおたわむ れもままあった。
後白河は、蹴鞠けまり もお上手で、よく三位経宗や信頼などもお相手に召されるが、なかなか彼らにも負けてはいない。わけて舞曲には、正格な御教養をもっておられるので、はなはだ “かん ” がよいのである。
「だめ、だめ。貞憲は落第よ。まだ俊憲の方がましであろう。俊憲、まいちど てみせい」
「いけません。陛下はおずる い。お叱言こごと ばかりがお上手じょうず です。こんどは陛下が遊ばして、範を示し給わらねば」
上皇は、お笑いになって取り合わない。上西門院の統子の君もお側におられて、陛下はおずるいという俊憲や貞憲と一緒に、おもしろ半分にお責めになる。
そうした御興のおりだった。にわかに、ひとりならず、上達部かんだちべ たちの跫音あしおと や、うろたえ声が、細殿ほそどの遣戸やりど を隔てて廊に聞こえた。
人びとの面は、さっと白けた。
「あ。・・・・出火?」
たれもが、同じ直感と、戦慄せんりつ をもった。
つい先月の晦日みそか である。祗園ぎおん 御旅所おたびしょ から出火して、飛び火のため、河原院、因幡いなば 堂、六条院などを焼き払い、正月の節会せちえ に出る五節ごせち の舞姫の一人が、あわれ焼け死んだと聞いていたばかりなので、火災の多い年暮くれ でもあるし、すぐ人びとの頭には同じ恐怖が描かれたのであった。
「おびただしい武者どもを して、右衛門督うえもんのかみ どのが、御苑にこま を乗り入れられ、奏聞そうもん のことこそあれと、篝火かがりび もとぼさず、わめきたたておられまする」
上達部かんだちべ のひとりが、早口に、細殿ほそどの の口からこう御座所へ奏していると、つぎつぎに、駈け乱れて来る者たちもまた、
「信頼どの、そのほかの諸卿には、 しくも、みな甲冑かっちゅう を召されています。何事にやと、問い参らせても、いら え給わず、ただただ、上皇におん別れのため推参して候う ── とばかり声々に仰せあるばかりです」
「諸門の外にも、悍立かんだ ったる馬のいななき、武者の雑言ぞうごん など、ただごとならず聞こえて参ります。あれ・・・・あのように」
吹き入る風に、たくさんなしょく が、一せいに墨を吹いた。
「あ。 ・・・・御出座遊ばしますか」
紙燭ししょく 。── 紙燭を」
「おあぶない」
俊憲兄弟や近習たちは、上皇のおあとを追いかけて、氷のような廊を走った。
上皇は、人もあろうに、信頼と聞かれたので、
(何事ぞ、公卿の身をもって)
と、いたく逆鱗げきりん されたのである。一言の下にしかりつけて、彼らの不穏をお鎮めになるおつもりであったらしい。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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