紙燭の点々たる火が、吹く風、駈ける人びとの手に、不知火
のように流れた。そして後白河のおん姿を追い、南殿なんでん
の御柱みはしら のあたりで止まった。そして、そこに佇たたず
まれた上皇のお姿を見出すと、庭上にあった信頼は、馬も降りないで、その君の影へ向かって言った。 「── 年来、君のおいとしみを蒙こうむ
りましたが、信西しんぜい 入道にゅうどう
の讒ざん によって、近く、わたくしたちへ追討の兵が向けられるという、もっぱらの取沙汰とりざた
です。ためにしばらく、難を避けるため、同憂の輩ともがら
をかたらい、これから東国へ下向いたしますれば、おん別れに参りました」 後白河には、余にも、事の意外なのと、かつまた、いわれのない、信頼の言葉に、仰天あそばして、 「たれが、そのような、根も葉もない風説を放ったものぞ。何者かが為ため
にしての流言にすぎない。信頼は、騙たばか
られているのであろう」 「いえ、たしかです」 「朕ちん
は、知らぬ」 「しかし聖上にはいかがありましょうか」 「もし、事実ならば、朕が、聖上にお会いして、お汝こと
の讒を解くであろう。物々しや信頼、その甲冑は、何たる姿ぞ」 「では、夜陰ながら御心に任せて、ただちに、内裏へ御供いたしましょう。── やよ人びと、御車を寄せて、上皇をお移し参らせい」 「・・・・あ。信頼、なにを命じるのか?」 上皇は、まるで別人みたいな信頼の容子ようす
に、あきれ給うて、彼をお叱りになるどころか、うろうろしておしまいになった。そこへ、お体を避けるすきもなく、ドドドドと土足にまま階を上って来た武者輩ばら
が、左右からおん手を組んで、畏おそ
れもなく、そのまま御車寄の方へと、お連れしして行った。 一味の伏見中将師仲もろなか
が、すでに御車をそなえて、そこに待ち構えていた。 上皇は、武者どものむげな仕方に逆鱗げきりん
されて、なかなか御車へお乗りにならない。師仲へ向かっては、 「師仲。そちもまた、長柄を抱え、物具もののぐ
などして、いかなる業をなそうというのだ。朕を、いずこへ連れて行く気か」 と、おん眦まなじり
を怒らせて叱った。 師仲は、さすが身が竦すく
んで、おなだめするのも、しどろもどろに、 「いえ、ほんの、しばしがほどです。決して、ご憂慮には及びません。ともあれ、ここはやがて」 などと吃ども
り吃り持て余していた。その間に、中宮の統子の君も、甲冑の人びとに囲まれてここへ来た。お若い女性ではあるし、ただおろおろ泣いておいでになる。武者たちに押し上げられて、いわるるまま、車の内へお入りになってしまった。それを御覧になると、上皇もついに、力に屈くつ
して、おん身を委まか せられてしまった。そして統子の君と抱き合うばかりに、車蓋しゃがい
の内で、おののき、うずくまっておられた。 そのとき、何者か、一名の武将が、声高々たかだか
と命じていた。 「やよ兵ども、御車を遣や
り出すを合図に、門々へ、火を放か
けよ。内なる信西入道の子どもらを外へ逃がすな。防ぐ者あらば立ち向かって討って取れ」 御車は、早くも、諸門の起こる火光を後に、大路へ、遣り出された。 牛の肌はだ
に鳴るムチの音がきびしかった。御車は、波上を行くような速度で、朱雀すざく
から大内おおうち へがらがら駈けた。──
前後を、左右を、うち囲んでゆく騎馬の人影はたれたれか右衛門督うえもんのかみ
信頼のぶより 、源左馬頭げんさまのかみ
義朝よしとも 、源みなもと
の一族光泰みつやす 、光基みつもと
、李実すえざね 、兼経かねつね
など。 そのほか、おびただしく駈けつづく坂東武士の群影のうちには、熊谷次郎直実、足立あだちの
藤太とうた 、金子十郎などの屈強も交じっていた。
|