〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/03/29 (金) 不 知しらぬ (一)

頼政はもう五十以上であった。義朝よりは、あるかに年上である。いや、五条謀議の席では、集まった面々のたれよりも、かけ離れた年長者であった。
兵庫ひょうご どのの名が欠けてはと、一同、胸をいためていたが」
「かくは兵庫どのも見え、力をあわ すこととなれば、もう大事は成ったようなものよ」
と、信頼もいい、惟方これかた もいった。彼一個の出席が、精神的にも公卿側を勇気づけたことは、ひと通りでない。
義朝は、元より源家の重鎮には違いないが、頼政もまた、摂津守せっつのかみ 頼光よりみつ曾孫そうそん 仲間政の子であり、かつての保元の乱にも、鳥羽法皇が遺詔にも書きおかれた十将の中の一人でもあっや。同族中の年長者としても、源氏の一翼としても、この人を無視してよいという者はない。
ことに彼は、兵庫寮ひょうごりょうかみ でもあった。
兵庫寮は、朝廷の兵器廠へいきしょう ともいえる部局で、安嘉門の内にある。特に厳しい柵内さくない におかれ、造兵司と鼓吹司こすいし と、兵器庫とが、そに中にある。 「兵庫鎖ひょうごぐさり ノ太刀」 「兵庫作りノくら などという物の名称もあるゆえんである。
頼政の加盟は、その兵器庫を味方に持つ意味からも、重要視された。しかし頼政自身は、日ごろからの人がらもそうだが、ここの場所でも至って寡黙かもく である。信頼や惟方が、義朝を相手に、過激な語を吐いたり、作戦上の機略を検討し合っていても、問われぬ限りは黙然とひかえている。── というよりは、どこか分別くさい で、 ているという風であった。
雨は、宵のまにやみ、風となった。
人びとはやがて散々ちりぢり に深夜を星屑のように別れて帰った。
翌八日の洛内は、表面、何事も見られなかった。おそらく昨夜の人びとは、おのおのの館の奥で、半日ほどは深々ふかぶか と眠りを っていたことだろう。そして急速な地下行動は、同夜から翌日へわたって起こされていたものに違いない。
それは、九日の夜半だった。
時刻は、こく (十二時) 前後。
六条のつじ 、五条四条の辻々、大路は朱雀すざく烏丸からすまる などの西東から、時をひとしくして、地鳴りに似た人馬の跫音が起こった。と思う間に、やがて一つにむらがった人馬の影は、真っ黒に三条烏丸の上皇の御所を取り巻いていたのであった。
甲冑かっちゅう の兵や騎馬の諸将は、呼びあい呼びあい、手勢を分けて、門々を外からヒシと包囲した。
その太刀や物の具が、星空に光を ね、地は て返って、物々しさ、恐ろしさ、なんと形容も出来ない。
総勢、五、六百騎と、数えられた。
中でも主力の一群は、正門の前へ、馬上の影を重ねあい、木枯らしのように、門の内へ呼ばわっていた。
「人やある。 く御門を開け候え。これは右衛門督信頼とその子信親にて候うが、にわかなことあって、上皇におん別れに参りたるにて候うぞ。開けよ、遅疑ちぎ なく、ここを開けよ」
兵たちも、声と一緒に、烈しくそこの門扉もんぴ を打ちたたいた。── 事面倒な、打ち破れ、とわめく兵もある。しかし、馬上の将の影は、手を振って 「しっ・・・・」 と後ろ者を制止した。仰ぐと、御所の大殿おおとの をかこむ冬木立の梢は、人骨のように白々と立ち並び、そこにひょうひょうと鳴る風の声はあった。けれど依然、内なる衛士えじ舎人とねり の答えはない。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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