〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-U 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
六 波 羅 行 幸 の 巻

2013/03/29 (金) 商 人あきゆうど むね ごよみ (三)

六波羅の代弐だいに 清盛は、翌四日の朝、このかわ 向こうから、熊野路へ立って行ったのである。── そしてその夜は江口、次の日は船路ふなじ 、やがて和歌ノ浦、紀伊の駅路うまやじ と、日をかさねて、きりべ 目の宿で、京師の変を、聞いたのだった。
こうして、変乱の支度は、すでに、彼が離京する前から、用意されたいたものだった。そうも言えるし、清盛の出立が、その勃発ぼっぱつ を、招いたとも、いえなくはない。
鼻は、利殖にみさと いが、時局の嗅覚しゅうかく も強い。恩人の三位経宗から、陰謀の相談にあずかると、それにも乗った。しかし雑色上がりの下臈げろう から、わずかな間に、大商人の仲間へ鳴り上がった程な男である。徹底した商人根性の持ち主が。ぜひなく表面は、恩人の義にくみ しても、また、経宗のいう大利をそれへ けたと見せても、青公卿の謀反に、全財産と生命を賭けるほど、彼の頭は幼稚でもないし純情でもない。どうせ、保元の乱の再現はまぬかれ難いものと見て、掛けるには賭けても、彼は、両方へ賭けておいた。
(いちかばちかの博奕ばくち はやる者の心次第さ。公卿同士、武門同士で、やるがいい。わしは商人あきゆうど だ。算盤そろばんはず せない)
彼は、妻にも鹿七にも言い聞かせてある。一面、経宗の陰謀には同腹しても、一面、六波羅殿の旅立ちには、心を用いた祝い物を、裏から贈っておくことも、怠らずにいた彼だった。
かくて、清盛熊野へ立つ、と聞こえた夜には、洛中らくちゅう の陰謀組みはもう活発な動きにかかっていた。といっても、飽くまで秘密 だったのは言うまでもない。五条坊門の鼻の住居は、さしずめ挙兵準備の本拠になった。
平安の都の内でも、ここら辺りは、市井的しせいてき 雑鬧ざっとう の中心地と言っていい。都の繁華の推移は近年、妙に、東南へ東南へと、伸張していた。これは六波羅が開け、ことに保元以後は、平家衆一般の景気がよいためであると、市人いちびと たちは言っている。
三位経宗は、さすが知恵者らしい。そうした巷の中の、しかも六波羅とは河一筋の対岸に、会合場所を選んだのである。そんな所で、過激な若公卿ばらと、源氏の将とが額を集めて、政権転覆せいけんてんぷく の秘謀をすすめていようとは、疑ってもみられないことに違いない。おりふし巷には、日ごとに歳末の騒音を増していた。鼻は鹿七とともに、よく店にも姿を見せ、市場にも相変らずな顔を出していた。その間、彼の住居の奥には、ふしぎな人びとが寄り集まっていたのである。
七日の夕方は、冷たい小雨であった。
裏木戸の辺には、炭俵の山や、あきだる など積んであった。これも、人出入りを偽装するためのものらしく、蓑笠みのかさ や、法師ほうし かず きや、旅人姿など、来る者来る者の変装も種々さまざま だった。ある者は、つつみ の枯れ柳に、馬をつなぎ捨て、ある人は、牛車を けて、従者に雨がさを させ、小走りに、隠れ込んだりした。── この夜をもって、挙兵の日時も、軍議をおわる最後の会合と言われていたので、公卿側の主なる顔も源氏の領袖りょうしゅう も、ほとんど集まった。
右衛門督うえもんのかみ 権中納言ごんちゅうなごん 信頼のぶより も来ている。検非違使別当けびいしのべっとう 惟方これかた もいる。三位経宗はもちろん、越後中将成親や源中納言げんちゅうなごん 師仲もろなか など、日ごろから深草の亭を中心としていた若公卿は残らずいた。
源氏側では、左馬頭義朝が、腹心の鎌田次郎正清と多田頼範ただのよりのり を伴って来ていた。── それと、この晩は、兵庫頭ひょうごのかみ 源頼政みなもとのよりまさ が、初めて顔を見せていた。かねて義朝から誘いをかけていた人だが、これまでの会合には出て来なかった頼政であった。その頼政が新たに加わったことは、信頼や惟方などをして一そう意を強うさせた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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