手代の鹿七は、やがて、それらの男女を旅へ立たせて、やれやれという顔つきだった。そして燃え残りの焚き火のそばへ寄っていると、そこへ二両の手車を押して市場の男が入って来た。男どもは、雑巾
みたいな直垂ひたたれ の袂を背中で結び、烏帽子えぼし
も袴はかま も鱗屑うろこくず
に光らせていた。 「だんな。こんな大きな明石鯛あかしだい
を、しかも五十枚も、一度にそろえたことはないって、漁師も言っておりましたぜ。どうです、この見事なこと」 男たちは自慢しながら、二尾ずつ笹詰めにした尺余の大鯛を二十五籠かご
で五十尾び 、そこへ下ろした。 鼻も出て来て
「ご苦労、ご苦労」 と、ねぎらっていたが、そのおびただしさに、目惑めまど
いした。 「おいおい、鱸すずき
はどうした。かんじんな鱸は」 「え、鱸ですか。だんな、鱸は一匹でよかったんでしょう」 「そうよ、鱸が眼目なんだ。五十尾の鯛も、鱸がなくては、花見に酒がないような物になっちまう」 「ありますあります。すばらしい大鱸だ。だんな、べつな籠で、ここにあるのが鱸ですよ」 男たちが戻っていくと、鼻は、かねて鹿七に命じておいた進物の支度を急がせた。おびただしい魚はすべて包装を改められ、笹の葉や南天なんてん
の実で彩いろど られ、一荷の吊台つりだい
に納められた。 手代の鹿七を供に連れて、鼻の妻は、盛装をこらした姿で、五条大橋を東へ渡って行った。 うしろにはまた、二吊つり
の担架たんか を小者に舁かつ
がせて従えていた。一台には鮮魚の進物、もう一台には巻絹だの宗そう
の酒瓶さかがめ だのが、美しく盛られていた。もちろん油単ゆたん
が掛けてある。外からは婚礼の荷やらなにやら分からない。 橋を渡ると、すぐその辺から、平家衆の住む墻かき
や築土ついじ の六波羅聚落じゅらく
である。明日あす 十二月四日には、清盛、重盛父子が、熊野へ立つという日であった。そのせいか、馬、車、諸家の郎党たちの往来が常より繁しい。 鼻の妻は、御台盤所みだいばんどころ
屋敷やしき の方へ曲がった。厨門くりやもん
の西に、もう一つ女房門がある。彼女は、門侍もんざむらい
とも日ごろから懇意らしく、笑い交わしただけで通された。奥まった局つぼね
の前栽せんざい の木陰へ、その姿は隠れて行く。 やがて。──
女の長ばなしでもして来たためか、待たされたのか、ずいぶん長い時間の後、彼女はいそいそ戻って来た。帰りがけにも、門侍たちへ、あいそをまき、なにか鼻ぐすりを、こぼして帰った。 「梅野、どうだった、御首尾は」 鼻は待ちかねていた。妻の姿を見るとすぐ訊たず
ねた。 「それはもうあなた、たいへんな、お喜びようでございました。御台盤所様にも」 「そうか、奥方の時子様に、お目にかかれたのか」 「そればかりでなく、品々を御前に御披露ごひろう
くだすって、清盛さまにも、重々のおよろこびぞやと、おことばを賜りました」 「ほかの品々はともかく、鱸のことには、なんとも仰せはなかったか」 「──
わが家の吉魚きちぎょ は鱸ということを、朱鼻は、いつ、たれに聞いてぞや。しかも明日は殿の熊野立ちという今日に、鱸とは、ようぞ気づいたものよ。心ききたる第一の贈り物。・・・・と、それはそれは、お賞ほ
めにあずかって、わたくしまでが、なにやらうれしくなってしまいました」 「その図に乗って、うかとしたことを、よもや口をすべらしはしまいな」 「いえ、あのことは・・・・」 と、梅野は急に、怖ろしい良人のかけ引きと、使いの意味を思い出して、口をつぐんだ。
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