霜の朝である。近くの五条坊門の市場は、いつものような雑鬧
に明けていた。そこらの小さい軒並みの棚たな
とは比較にならない大きな店家てんや
を持つ朱鼻あけはな の伴卜ばんぼく
の住居の奥まで、その喧騒けんそう
は往来をこえて聞こえて来る。 鼻は、人いちばい、早起きだった。── もう得意先か、どこかを一回りして帰って来た。ただでさえ赤い鼻を赤くさせ、馬のような白い大息を凍らせながら、すぐ焚き火のそばに寄るでもなく、雇人長屋をのぞいていた。 「おいおい、わいらはまだ支度にかかっとるのか。なんぼ、旅売りに出るからというて、念入り過ぎるぞい。早う出んか、早う」 そこから少し離れた所に、またべつに販女ひさぎめ
たちばかりの住む長屋がある。そこでも、彼は喚わめ
いていた。 「今月は師走しわす
だぞよ。おとといから十二月に入ったのを知らぬのか。わいたちも、年暮くれ
いっぱいは精出して稼いでおかねば、正月をどうするのや。人なみに、曠は
れ着の一枚も着て、白粉おしろい
でも塗りたくらにゃなるまいがな」 それからである。鼻は、やっと、庭づたいに住居の縁へやって来た。そして、 「梅野、梅野。飯をくてい、朝飯じゃ」 と、ワラ沓ぐつ
を脱いで、家の内へ上がった。 彼の妻は、女童めわらべ
と一緒に、粥鍋かゆなべ やら干魚や漬物つけもの
などを取りそろえて、人なみ以上勤勉な良人おっと
に、人なみ以上気をつかった。 「お寒かったでございましょう。けさは、氷柱つらら
が下がっておりますもの」 「なんのい」 と、鼻はもう粥の椀をフウフウ吹きながら、 「十二月といえば、世間は暗いうちから車も牛も稼いでいる。わが家の販夫ひさぎ
たちは、飢ひ もじさ知らずで、どうもならん。──
あ、鹿七は店にいるか。ちょっと、ここへ呼んで来い」 女童めわらべ
が呼びに行った。鹿七とは店の手代てだい
の一人である。鼻は二、三日前の朝、夕顔ゆうがお
三位さんみ がここを訪ねて来て、彼の密談を受けてから、その灯日、鹿七にも自分の肚はら
を割っておいた。そして、人出入りの多い店の締まりなども、なにかとのみこませてあるのだった。 「鹿七。あれからなにも怪しそうな者は来ないかね。大丈夫だろうな」 「ご安心くださいまし、表の方のことは一切。・・・・それに、年暮くれ
内うち は、店先の小販こひさ
ぎは仕らず候と、掛札かけふだ
をしておきましたから」 「放免ほうめん
(密偵) や六波羅ろくはら
衆などが、どう姿を変えて来まいものでもないからな」 「いえ、それよりは、うちの販夫ひさぎ
たちの目や口を、よほど、お気をつけになりませんと」 「だからさ、今日かぎり、長屋のあれどもはみな旅販たびひさ
ぎへ出してしまうのだ。それを今朝も手間取っているから、今、ひと怒鳴りやって来たところだ。もう一度、お前が行って、側から喧しく追いたてろ」 「承知しました。申しつけましょう」 「ア。お待ち。まだ用があったぞ。昨日魚市の者へあつらえた大鯛おおだい
は、まちがいなく届くだろうな。── 今日は三日、明日は四日、明日となっては、間に合わんでな」 「魚の夜船は、夜明けに淀よど
へ着いても、ここまで着くには、どうしても陽が高くなります」 「荷が着いたら、おまえも梅野の供をして、ちょっと行ってもらわにゃならんぜ」 「へい、それも心得ております」 土倉の前では、行商の旅へ立つ販夫の男女が群れて、荷を負ったり、荷駄にだ
に積んだり、わいわい騒ぎ合っていた。毎年、暮れになると、地方向きの雑貨を担にな
って、大和やまと 、和泉いずみ
、近江路おうみじ 、遠くは美濃みの
あたりまで売子を出すのは京商人の例であるが、なぜか朱鼻あけはな
の店では、それが例年より早く行われた。 |