〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
ほ う げ ん の 巻

2013/03/25(月)  えん ぎょう れつ (三)

麻鳥は、途中から、気のない顔をしてしまった。彼には、文覚が言うように、そう厄介な本姓というものを、自分の中には、見出せないからであった。けれど、文覚の隆々たる肉体と心には、彼の言うところの厄介性が、人一倍、隠されているに違いなかった。それを、持て余している苦悶くもん の告白と聞けば聞けないこともない。
二人は、やがて、ごろりと、横になった。
一睡して、文覺は、夜半にここを出立した。
例の、おい を背負い、竹杖をつき、三条河原へ出て、浅瀬を渡り、対岸の闇へ姿を消して行った。── そして、それを見送ってから、麻鳥が、もとの焼け跡へ帰って来る途中であった。
烏丸からすまる 六角の辻から壬生みぶ 大路おおじ へ向かって行く、おびただしい大路たいまつ の火光と、人馬の列を見た。
麻鳥は、びくとした。理由なく、小屋の蔭へ走りこんで、息をひそめた。横になったが、なんとなく眠りつけない。しきりに、不安が襲うてくる。
じょの日ごろ、彼はたえず、新院の御運命の成り行きを気にかけていた。毎日、街へ乞食に出ても、うわさに聞き耳をたてていたのである。頼長、為義、忠正など、新院方の大物は、ほとんど、処刑が終わったので、いよいよ近く朝廷では、新院崇徳上皇の御処分にかかるのではあるまいか。── と言われていた。
が、新院にはすでに、仁和寺にんなじ へはいって、お髪を ろし、恭順きょうじゅん を示しておられるのであるから、朝廷でも、それ以上、むご い追及はなされもしまい。── わけて、主上後白河にとっては、まさしく、じつ の御兄上にも当たらせられる君である。
しかし、それのしても、仁和寺には置かれまい。どこか、洛外らくがい の他の寺へ、御幽居のかたちになるであろう。人びとはそう憶測おくそく しあった。けれど、朝議はよほど極秘に行われているとみえ、そのことに関する限り、今日まで、確実らしいことは何ももれてはいなかった。
「・・・・もしや?」
麻鳥はふと考えた。身を起こして、あかつき の星を見つめた。
急に足ごしらえをして、麻鳥は、壬生大路へ駆け出した。近道をとって、勧学院の裏を抜け、安井の太子道まで来ると、さっきの赤い火光をいぶした長い列が、双ヶ岡ならびがおか への田舎道を、百足むかで のように、うねり曲がって行くのが見えた。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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