どっちも似たり寄ったりの、いわば乞食同士の境涯である。文覚は、その日から、麻鳥の小屋に同居した。文字通り、一樹の蔭の縁といえる。 求めて奇妙な運命を持った者同士が、月下に、ぽつねんと、膝を揃え荒涼
たる都の中の焼け跡で、世の行く末を思いながら、無言を守りあっている図は、管絃かんげん
の音もないこの秋の洛中らくちゅう
を象徴していた。 昼は麻鳥が食を求めて歩き、夜になると、文覚が出かけて行く。 その晩、文覚は、一壷こ
の酒をかかえて早めに帰って来た。そして、麻鳥に向かい、自分は熊野へ行く事に決めた。この機会に、またしばらく、那智なち
山中に籠こも ろうとおもう。そこで今夜は、別れの一杯を酌く
み交わすべく、知るべの寺から酒をもらって来たわけだ。飲んでくれ。おまえには、はからずも、ありがたい恩を受けた。その恩施おんせ
にたいしても、、自分は自分の道心を一そう堅固にしなければならない気持ちにもなっている。今夜は、わしがおまえに膳ぜん
を供えて奉仕をさせてもらう番だ。さ、酌つ
がせてくれ。── というのである。 「勿体もったい
ない。わたくしごときへ」 麻鳥は、別れと聞いて、さびしげな顔をした。けれど、久しく口にしなかった酒に会い、杯を重ねるに従って、ころりと、他愛なく酔いをあらわした。 「ああ酔いました。極楽です。文覚さま。次にお会いした時には、こんな焼け跡でなく、のどかに、御法話など、伺わせてくださいまし」 「いやいや、おまえにする説法などはないよ。こうなってまでも、ここの柳ノ水を守って、ひとたびお仕えした新院の御先途ごせんど
を見とどけ、生涯そのお方かた
に蔭ながらでもお仕えしてゆきたいという心根をいつか聞いて。── わしは嬉しかった。いや敬服した。世には、なお、おまえのような人もいるかと、ありがたく思う」 「滅相めっそう
もない。わたくしのような鈍根な者には、それくりなことしか、世にする仕事がないからです。こんなけわしい世の中では、父から伝えられた雅楽にも、とんと、励む心が起こりませんし」 「世は騒がしくても、またすぐ公卿の家や朝廷では夜々の管絃やら散楽さんがく
が始まり出すにちがいない。権門に愛されれば、ずいぶん伶人れいじん
として、華やかな暮らしも出来るだろうに」 「その権門に飼われるのが、いやなのです。笙しょう
を奏かな で、笛を吹く。それが、ほんとに人を娯たの
しませ、心から自分も楽しむのならば、伶人の職も悪くはありません。けれど殿上といえ、公卿の宴楽といえ、めったにそんな歓びはないものです。── 歓宴の裏に、嫉視しっし
の睨にら み合いが見えたり、饗応きょうおう
の蔭に、陰謀があったり、それはそれは浅ましい思いをさせられることがたびたびです」 「なるほど、伶人はいつも酔うことのない陪席者ばいせきしゃ
だ。宴楽の人びとが、ヘドを吐いて酔うても、伶人はつねに冷静だろうからな」 「五節ごせち
、式日などの、朝廷の御儀おんぎ
は、これまた、べつですが、芸術の家に生まれて、芸術を命として来た者が、なんで、そんな人びとの伴奏をしなければならないのかと、亡な
き私の父などは、よく愚痴をこぼしておりました」 「むしろ柳ノ水の浄きよ
さを守り、生涯を凡下ぼんげ の中で暮そうというのか。いや同感だな、凡下の中で、おまえも持っている芸術を役立たせたらいい」 「さあ、殿上の楽器を、そのまま街へ持ち出しても、面白がってはくれますまいが、工夫くふう
を積めば、皆の楽しめる何かが考え出されて来るかも知れません」 「どうだ。おまえの持っている笛を、ここでひとつ、吹いて聞かせないか」 「それだけは御勘弁ください。この笛には、思い出が多すぎて、涙なくしては吹けません。せっかく頂いた酒もさめ、後の淋さび
しさが思いやられます」 ここの御所がまだ焼けない前に、新院とお約束しながら、ついに空むな
しくなったことを、麻鳥は思い出して、言ったのであった。 強し
いてとは、文覚も言わなかった。 笛に求めなくても、焼け残った所の木々や秋草の、おちこちには、すず虫、くつわ虫、松虫、名知らぬ虫まで、それぞれの自然の楽器に、美音を競って啼な
きすだいている。 小さな月が、真上に、高くあった。 |