このところ、栂
ノ尾お へも帰れないし、昼中は、寝場所にすら困っていたときである。焼け跡の柳ノ水は、格好かっこう
な所に思えた。行ってみると、過ぎし日の面影もない瓦礫がれき
と半焦こ げの樹木ばかりがながめられ、さしも名園の池泉にさえ、焼けた板切れや、死んだ小鳥などが浮いている。 ところが、柳ノ水の周まわ
りだけは、たれがしたのか、すっかり清掃されていた。井筒いづつ
には、板をならべ、木の葉も舞い込まぬように守られている。 清浄すぎて、文覚は、取り散らかすのが、憚はばか
られた。ふと、すこし離れた所の木の間へはいると、焼け板で囲った乞食の掛け小屋そのままな寝小屋がある。笈おい
を、そこに下ろし、文覚は、むしろの上に、寝そべった。 高いびきをかいて、いつか、眠り落ちていた。 「もし、もし・・・・」 と揺り起こされて、ふと、見ると、もう陽ひ
は午ひる ごろの高さ。── そして、約束して別れた小男が、そこらにあった板切れを膳ぜん
として、柏かしわ の葉や、桐の葉などを、皿さら
として、飯いい 、塩魚、漬物つけもの
、生味噌なまみそ など、幾種類もの食べ物をならべ、 「上人さま。お斎とき
です。・・・・どうぞ召し上がってくださいまし」 と、地にかしこまって、額ずいていた。 文覚は、彼の鄭重ていちょう
さと、木の葉の皿の食物とを見比べて、ああと、なにか感声をもらし、泣きそうな瞼瞼まぶた
になった。 「これは・・・・。これはお前が、乞食して、家々からもらい集めて来たものだろう」 「お隠しはいたしません。その通りです。・・・・けれど、一粒りゅう
の御飯も、漬物の一切れも、不浄な物では決してございません。── 貧しい裏街の、自分自分も食べかねるお人ほど、小ささ
やかをわけて、この乞食へ賜るのでございました。経読むすべも知らない物乞いでございますゆえ、ただ軒ばに、手を合わせて、いただいて来ましたが、それが、あなた様のような仏身のお糧かて
となれば、わたくしのよろこび、また、下くだ
された方たちの、報謝のお心も届きましょう。・・・・どうか、召し上がってくださいまし」 「・・・・」 文覚は、達磨だるま
尊者そんじゃ みたいに、口をむすんだきり、いつまでも、返辞をしなかった。いや、答えられなかった。 が、彼は、やっと決意がついたように、箸はし
へ手をのばした。 「いただくよ。ありがたく」 「さあ、どうぞ」 「おまえも食べていないにちがいない。── いや嘘だ。食べておるまい。おまえも食べてくれ」 乞食の小男は、首を振った。けれど、余りに強し
いられるので、彼もともに、箸はし
を持った。ぽそぽそと、小鳥と小鳥が、啄ついば
むように、仲よく、噛みしめた。 「── 麻鳥あさどり
さん。お水守の麻鳥さん」 すると、この焼け跡に近い家の召使でもあろうか、小桶こおけ
を手に提げた女童めわらべ が、かなたの柳ノ水のそばから、呼んでいた。 「おお、蓬子よもぎこ
さんか。お水かね」 「え、また、井の水をいただきに来ました。どこへもらいに行っても、常盤よきわ
御前ごぜ の家の者などに、水はやれぬと、断られます。──
垣かき の内へ、石を打ちつけて通る人さえあるのですから」 「お待ち。いま、汲んであげる」 麻鳥は、駈けて行った。 戦乱で、使えなくなった井戸が、あちこちにある。兵士たちが、物を投げ入れたり、死骸しがい
を捨てたり、不気味な話が、多かった。 女童めわらべ
の主の家も、そうしたことで、もらい水をしているものとみえる。いま、文覚が小耳にはさんだ常盤御前といえば、源義朝の想おも
い女もの と、たれも知らぬ者はない。父の首を差し出し、数人の弟を斬って得たものが、左さ
馬守まのかみ の官位よと、庶民は、唾つば
するように悪評している時なのだ。── 何も知らない召使の女童までが、街で憎まれ、水さえ快くくれるところがないというのも、ありそうなことよ ── と、文覚は、麻鳥が、水を汲んでやる姿を小屋からながめていた。 |