文覚が、中門内で吼
えているうち、表門の外には、また一組の客が見えた。二両の牛車が止まって、若い貴人が降り立っていた。 「何事であろう?」 「魁偉かいい
な坊主が、わめいておるが?」 夕顔の三位さんみ
経宗つねむね と、権中納言信頼のぶより
という名門の若公卿。 立ち止まっていたが、 「戻りもならぬし」 と、中門の垣がき
の蔭に、たたずんで、文覚が立ち去るのを、待っていた。 一時、行方知れずと伝えられた夕顔の三位であったが、戦いくさ
が終わると、またいつのまにか、関白忠通へ近づいたり、ここの門を訪ねたり、如才なく、戦捷せんしょう
を祝して、立ち回っていた。彼には、廉恥れんち
も節もない。けれど、世事俗談に通じ、機知に富み、じつに、話がおもしろい。人をそらさない妙を得ている。 (信西入道 ──。 彼は近ごろの大物ですよ。将来は、彼が政権を左右しましょう・ちょっと、取っつきにくいが、いちど会ってごらんなさい) 前から約束していた紹介の労をとる為に、彼はこの日、わざわざ、信頼を連れて来たところだった。信西もそれをふくんでいて、今日は朝ちょう
の出仕を休み、家にいようと、打ち合わせもついていた。 (・・・・これは、まずい。・・・・乞食こじき
坊主め、いっかな帰る気色も見えぬわ) 経宗は舌打ちしていた。連れている従者に命じ、文覚を追い返す応援でも、と考えたが、その時また、中門内の式台では、何か荒々あらあら
と、家人と文覚との争いが、昂こう
じ出していた。 「帰れっ。立ち去れっ。いわせておけば、悪態雑言。この上、なお申すと、武者どもを呼んで、引き渡すぞ」 ついに、息子の長憲も、我慢をやぶって強硬に出た。 すると言下に、からからと笑う声がした。笑うのは文覚。犇ひし
めいたのは家人である。 ── あわやと見える空気にも、文覚は、なお一歩も動くではなく、両手をひろげて、急に、眼の前に数を増してきた青侍や雑色ぞうしき
を、睥睨へいげい して、 「待て待て、手出しは待て。・・・・文覚は恐こわ
い。腕ずくは、何より嫌うところだ。なんじら、チリあくたが ── ではなく、やったら、前後無識になる自分が恐ろしいのだ。 ── まず待て、もう一言、奥へ言いたい」 眼光は、何者も近づけさせない。そしてまた、前のような大音に吼ほ
え立てた。 「やい、信西入道よ、心を澄まして文覚の言うところを聞け。── 今日限り、死刑や拷問を、即刻、廃や
めろ。恐怖政治を布し くなかれ。敵にも、仁恕じんじょ
をもて。さもなくんば、応報は遠からず、その身に巡めぐ
って来ようぞ。── たとえ、一朝の権勢は得ても、諸人の怨嗟えんさ
を、身にあつめたら、顕栄、何かあらん。やがて劫火ごうか
は、屋おく をつつみ、九族の悲叫ひきょう
を聞くは、疑いもない。── いや、もしなお、きのうに続く酸鼻さんび
な極刑を、明日もその後も、やり続けるなら、次には文覚自身が迎えに来て、炎の車へ、なんじを、つかみ乗せ、六条河原へ引いて行くぞっ。よいかっ。聞こえたか、信西っ」 ──とたんに、後ろから、信西の家の武者が、 「くそ坊主っ。勅を誹そし
るか」 と、薙刀なぎなた
の柄で、彼の腰のあたりをいきなり突いた。 奥の耳へ、とばかり心を集中していたので、、文覚は、あっと、よろめいた。彼に、この弱点があったと気づくと、それまでの怯者きょうしゃ
は、俄然がぜん 、猛犬のように、文覚の体に跳びかかって、手をおさえ、脚につかまり、数と重量で、文覚をねじ伏せた。 文覚は、ウもスもいわない。脾腹ひばら
の辺に手を当てたまま抵抗もみせないでいる。そこの激痛に、一時、眼が眩くら
んだのかも知れない。山となっておいかぶさった人間の下で、息をやすめている。 ── が、大勢の手は、ひしめき合って、自分に縄目なわめ
をまわそうとするらしい。彼は、考えた。これは困る。自由は奪わせられない。 「── 起きるぞっ」 と、文覚はことわった。 豆殻の中から、大きな男が、豆殻をハタいて立つように見えた。おかしな程、無造作に、あたりの人間が跳ね飛ばされた。 「逃がすな」
と、前を塞ふさ ぐ一群れもある。 雑色、車舎人くるまとねり
まで、この物音に、総出となった。 外へは出ずに、文覚は、かえって、内へ躍り上がって、廊の間に、突っ立っていた。 あて違いに、戸惑って、家人たちは、うろたえの向きを変え、 「叛逆人はんぎゃくにん
の片割れに違いない。悪僧を、奥へ入れるな」 と、一せいに、おめき掛かった。 文覚は、足場の利をしめて、両手に二人ぐらいずつ、つかみ寄せた。そして勾欄こうらん
から下へ投げ飛ばした。忙しくなると、足で踏んづけたり、近くの柱へ、相手の頭を持って行って、いやという程、たたきつけた。 障屏しょうへい
がたおれ、妻戸つまど が裂け、屋の内を、震雷が翔か
けるような物音だった。女童の泣き声は、一そうそれに凄愴せいそう
を加えた。 ふたたび、文覚の姿が、式台へ現れた。笈おい
を背にかけ、竹づえを持つと、慌あわ
てて、外へ飛び出して行ったのである。── なお、彼には、自省があったのだ。自分が恐こわ
くなったのである。逃げるに如し
かずと、考えたらしい。ところが、 「おのれっ」 と、その出足を、中門の蔭から、薙刀がすくった。文覚は、跳びのいて、なお表門までの間を固めている多くの太刀、長柄などの光をながめた。 檜垣ひがき
の横に、睡蓮すいれん が咲いていた。青銅製の蓮華れんげ
葉盤ようばん にたたえられた水一面の花である。 文覚はそれを見ると、竹づえを投げた。両手に抱え上げられた青銅盤からサッと水が揺れこぼれる。行為が、畸き
であり、何とも意表外だったので、武者や舎人とねり
たちも、オヤと、気をとられているまに、文覚はそのまま、タタタタと小刻みに歩き出して、長柄、太刀、薙刀の簇むらが
りへ、 「おうつっ ──」 満身の力から、抱えていた物を、抛ほう
り出した。 花、泥、水、そして青銅盤が、がらん、ずん、と地ひびきを立てた。 まかれた泥水や睡蓮に根を浴びて、蛙かえる
のように、わっと逃げかくれる雑色だの舎人たちを見て、文覚は手を打って、哄笑こうしょう
した。 笑いやまぬ声をあげながら、文覚は悠々ゆうゆう
と表の平門を出て行った。 三位経宗と、信頼の二人は、生きたそらもなく、植込みの下に屈まり込んだまま、竦すく
み眼をして、見送っていた。 |