〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
ほ う げ ん の 巻

2013/03/21 (木) もん がく おう らい (三)

文覚が、中門内で えているうち、表門の外には、また一組の客が見えた。二両の牛車が止まって、若い貴人が降り立っていた。
「何事であろう?」
魁偉かいい な坊主が、わめいておるが?」
夕顔の三位さんみ 経宗つねむね と、権中納言信頼のぶより という名門の若公卿。
立ち止まっていたが、
「戻りもならぬし」
と、中門のがき の蔭に、たたずんで、文覚が立ち去るのを、待っていた。
一時、行方知れずと伝えられた夕顔の三位であったが、いくさ が終わると、またいつのまにか、関白忠通へ近づいたり、ここの門を訪ねたり、如才なく、戦捷せんしょう を祝して、立ち回っていた。彼には、廉恥れんち も節もない。けれど、世事俗談に通じ、機知に富み、じつに、話がおもしろい。人をそらさない妙を得ている。
(信西入道 ──。 彼は近ごろの大物ですよ。将来は、彼が政権を左右しましょう・ちょっと、取っつきにくいが、いちど会ってごらんなさい)
前から約束していた紹介の労をとる為に、彼はこの日、わざわざ、信頼を連れて来たところだった。信西もそれをふくんでいて、今日はちょう の出仕を休み、家にいようと、打ち合わせもついていた。
(・・・・これは、まずい。・・・・乞食こじき 坊主め、いっかな帰る気色も見えぬわ)
経宗は舌打ちしていた。連れている従者に命じ、文覚を追い返す応援でも、と考えたが、その時また、中門内の式台では、何か荒々あらあら と、家人と文覚との争いが、こう じ出していた。
「帰れっ。立ち去れっ。いわせておけば、悪態雑言。この上、なお申すと、武者どもを呼んで、引き渡すぞ」
ついに、息子の長憲も、我慢をやぶって強硬に出た。
すると言下に、からからと笑う声がした。笑うのは文覚。ひし めいたのは家人である。
── あわやと見える空気にも、文覚は、なお一歩も動くではなく、両手をひろげて、急に、眼の前に数を増してきた青侍や雑色ぞうしき を、睥睨へいげい して、
「待て待て、手出しは待て。・・・・文覚はこわ い。腕ずくは、何より嫌うところだ。なんじら、チリあくたが ── ではなく、やったら、前後無識になる自分が恐ろしいのだ。
── まず待て、もう一言、奥へ言いたい」
眼光は、何者も近づけさせない。そしてまた、前のような大音に え立てた。
「やい、信西入道よ、心を澄まして文覚の言うところを聞け。── 今日限り、死刑や拷問を、即刻、 めろ。恐怖政治を くなかれ。敵にも、仁恕じんじょ をもて。さもなくんば、応報は遠からず、その身にめぐ って来ようぞ。── たとえ、一朝の権勢は得ても、諸人の怨嗟えんさ を、身にあつめたら、顕栄、何かあらん。やがて劫火ごうか は、おく をつつみ、九族の悲叫ひきょう を聞くは、疑いもない。── いや、もしなお、きのうに続く酸鼻さんび な極刑を、明日もその後も、やり続けるなら、次には文覚自身が迎えに来て、炎の車へ、なんじを、つかみ乗せ、六条河原へ引いて行くぞっ。よいかっ。聞こえたか、信西っ」
──とたんに、後ろから、信西の家の武者が、
「くそ坊主っ。勅をそし るか」
と、薙刀なぎなた の柄で、彼の腰のあたりをいきなり突いた。
奥の耳へ、とばかり心を集中していたので、、文覚は、あっと、よろめいた。彼に、この弱点があったと気づくと、それまでの怯者きょうしゃ は、俄然がぜん 、猛犬のように、文覚の体に跳びかかって、手をおさえ、脚につかまり、数と重量で、文覚をねじ伏せた。
文覚は、ウもスもいわない。脾腹ひばら の辺に手を当てたまま抵抗もみせないでいる。そこの激痛に、一時、眼がくら んだのかも知れない。山となっておいかぶさった人間の下で、息をやすめている。
── が、大勢の手は、ひしめき合って、自分に縄目なわめ をまわそうとするらしい。彼は、考えた。これは困る。自由は奪わせられない。
「── 起きるぞっ」
と、文覚はことわった。
豆殻の中から、大きな男が、豆殻をハタいて立つように見えた。おかしな程、無造作に、あたりの人間が跳ね飛ばされた。
「逃がすな」 と、前をふさ ぐ一群れもある。
雑色、車舎人くるまとねり まで、この物音に、総出となった。
外へは出ずに、文覚は、かえって、内へ躍り上がって、廊の間に、突っ立っていた。
あて違いに、戸惑って、家人たちは、うろたえの向きを変え、
叛逆人はんぎゃくにん の片割れに違いない。悪僧を、奥へ入れるな」
と、一せいに、おめき掛かった。
文覚は、足場の利をしめて、両手に二人ぐらいずつ、つかみ寄せた。そして勾欄こうらん から下へ投げ飛ばした。忙しくなると、足で踏んづけたり、近くの柱へ、相手の頭を持って行って、いやという程、たたきつけた。
障屏しょうへい がたおれ、妻戸つまど が裂け、屋の内を、震雷が けるような物音だった。女童の泣き声は、一そうそれに凄愴せいそう を加えた。
ふたたび、文覚の姿が、式台へ現れた。おい を背にかけ、竹づえを持つと、あわ てて、外へ飛び出して行ったのである。── なお、彼には、自省があったのだ。自分がこわ くなったのである。逃げるに かずと、考えたらしい。ところが、
「おのれっ」
と、その出足を、中門の蔭から、薙刀がすくった。文覚は、跳びのいて、なお表門までの間を固めている多くの太刀、長柄などの光をながめた。
檜垣ひがき の横に、睡蓮すいれん が咲いていた。青銅製の蓮華れんげ 葉盤ようばん にたたえられた水一面の花である。
文覚はそれを見ると、竹づえを投げた。両手に抱え上げられた青銅盤からサッと水が揺れこぼれる。行為が、 であり、何とも意表外だったので、武者や舎人とねり たちも、オヤと、気をとられているまに、文覚はそのまま、タタタタと小刻みに歩き出して、長柄、太刀、薙刀のむらが りへ、
「おうつっ ──」
満身の力から、抱えていた物を、ほう り出した。
花、泥、水、そして青銅盤が、がらん、ずん、と地ひびきを立てた。
まかれた泥水や睡蓮に根を浴びて、かえる のように、わっと逃げかくれる雑色だの舎人たちを見て、文覚は手を打って、哄笑こうしょう した。
笑いやまぬ声をあげながら、文覚は悠々ゆうゆう と表の平門を出て行った。
三位経宗と、信頼の二人は、生きたそらもなく、植込みの下に屈まり込んだまま、すく み眼をして、見送っていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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