〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
ほ う げ ん の 巻

2013/03/20 (水) 夜 の 親 (三)

「世間がうるそうございます。頭殿こうのとの にも、お心をくだき、あれこれ、御助命のおはからいに、寝食を忘れておられますものの・・・・いかんせん、朝廷に、邪魔者もおり、反論もあります。── ついては、しばらくの間、東山の奥まった所の草庵そうあん に、おかだをひそ め、かたがた、御養生あるようによの、仰せにございまする」
鎌田正清と波多野次郎とが、為義の室へ、ぬかずいて、そう伝えた。
坪のさきまで、輿を持ち込み、
「── お供には、われらどもが」
と、うながした。
為義は、座を立って、去るにのぞみ、親ながら、義朝の部屋の方へ向かって、手をつかえ、
「げに、子は宝、持つべきものは子というが、子でない者なら、どうして、身を代えてまで、このように心を配ってくれよう。・・・・おの御恩は、生々しょうじょう 世々よよ 、忘れることではない。忘れはせぬ」
と、涙をこぼして、幾たびも言った。
かれを乗せた輿は、黄昏たそがれ の裏門を出て、やがて、夜に入るままの暗い道を行った。
東山というのに、輿と供人達の行く方角は、少し違っている。都は出外れ、西朱雀すざく から七条の真っ暗な草原へ来てしまった。
ぽつねんと、たれも乗っていない空の牛車が待っていた。家中の郎党十数人が、先に来ている。── と、鎌田正清が、ひじ で、波多野次郎の、体を小突いた。
次郎は、いやな顔をして、
「・・・・ ぬし れ。・・・・おれには」
と、手を振った。
正清も、たじろぎ、迷うこと、しき りだったが、もう牛車の側まで、来てしまったので、思い切ったように、
「あ。ちょっと・・・・輿を降ろせ」
と、雑色ぞうしき の足をとめた。そして、自身、輿のそばへ、寄り添い、
「大殿、はや、都の外へ出ました。道も遠ございますゆえ、牛車の方へ、お移りなされませ──」
と、うながした。手は、太刀のつかを握り、身を退いて、為義が、出るところを、待つ構えであった。
すると、波多野次郎が、うしろから、かれの構えている手を、突いて、
「正清、ちょっと、顔を・・・・」
と、十歩ほど、輿を離れた所へ、連れて行った。
「おい、だま まし討ちは、よせ、騙まし討ちは。・・・・かりそめにも、主君の父なる大殿おおとの 。そんな手はあるまい」
「じゃあ。どうする・・・・?」
「申しあげちまえ、いっそのこと。そして、お念仏をおすすめ申し上げ、たとえ野末でお果てになるまでも、せめて、六条源氏の大殿たる礼儀をもってするのが、ほんとだろう」
「いや。もっともだ。・・・・だが、そうなると、 りにくい。貴公、代わってくれい」
「真っ平だ。おれには、できない。貴様、やれい」
こそこそ、押問答していたが、やはり正清が、やがてまた、為義の前へ来て、事実を告げた。平伏して、お命をいただきます、じつは、そのためのお誘い出しでした ── と白状した。
為義は、騒がなかった。むしろ、
「そうか」 と、子の帰結を、大きく受け取るような、返辞だった。
しかし、輿の外に、座り直して、一言、こうは言った。
「なぜ、義朝は、それをわしへ、言えなかったのか。いえない気持も察せられるが、父の心とは、そんなものではない! ・・・・」
語気を強めたここで、さすがのかれも満面は、急にくだ る涙となって ──
「そ、そんな、小さい親の愛。せまい料簡りょうけん の父と、為義を、見ていたのか。── 幼少、母の を離れ、父のひざごに、とりついて、この父の顔を、見覚えてから何十年。・・・・まだ・・・・まだ、この父の、心の隈々くまぐま までは、分らなかったか」
いつのまにか、あたりは、草の穂のほか、立っている影はない。打ち伏し、ぬかずいている武者、雑色まで、啾々しゅうしゅう 、虫のむせ ぶように、泣いていた。
「義朝よ。それ一つが、残念だぞよ。世は、泡沫うたかた といえ、深い深い宿縁の、子ではないか、父ではないか。── こうと、なぜ、胸を割ってくれなかったぞ。いかに、零落したりといえ、為義は、親心までを、路傍に捨てて、お身を頼ったわけではない。・・・・是非なければ、それもよし、父子、今生こんじょう の一夜を、心ゆくまで、惜しみもし、語りもして、別れたものを・・・・」
かれは、ひざを直した。生涯の涙をそそぎ尽くしたごとく、もう泣いてはいない。合掌しているのである。小声の念仏がつづき、心の平調をとりもどすと、法衣のそで を動かす風と一つのもののように、静かに言った。
「正清。── 打て」
                       ※
左馬頭義朝も、ついに、父の首級を、官へ出した。
市にさら すことはされなかったが、庶民は、声をそろえて、義朝の非行を責めた。六条河原で、清盛に石を投げたときよりも、激昂して、寄り寄り、悪口をいいあった。
四郎左衛門頼賢、そのほか頼仲、為宗、為成など、かれの弟たちも、つぎつぎに捕らわれ、つぎつぎに処刑された。── ひとり、八郎為朝だけは、
「ばかげている。わからない時勢だ。あれほどな兄貴だが、やはりまだ公卿の番犬にすぎない。たれが、捕まってやるものか。── おれの天地は、どこにでもある」
豪語を放って、ひょう然と、単騎、四国方面へ走ってしまった。けれど、やがてまた捕らわれて、都へ差し立てられ、ひじ のスジを切って、その後、伊豆の大島へ流された。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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