〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
ほ う げ ん の 巻

2013/03/20 (水) 志 賀 寺 ざ ん げ (二)

「舟を、都合つごう つけてまいりました、密かに、舟持ちの漁師に、利を与えて」
四郎頼賢と、花沢孫六が、喜ばしげに戻って来て、こう告げた。
十七日の真夜半ごろ。一同は、志賀寺を出、忍びやかに、湖畔へ立った。
ところが、どうしたのか、約束の舟は、見えない。
唐崎の松もあたりという約束だったので、暗い波間を眺めて、たたずんでいると、かなたのひろいやみから、馬蹄ひづめ の音や、松明たいまつ や、怪しからぬ人声が近づいて来る。
「やっ、はか られているぞ。われらは」
まっ先に、父や兄たちを、こういって ましたのは為朝であった。
「孫六、父上を、おたす けして、東坂本の山へ逃げ込め、おれたちは、ここにいて、討手をひきうけ、後からお慕いしてまいる」
何をしめ し合わせておく、暇もない。
花沢孫六は、為義の腕を、自分の肩にまわし、背負うばかりにして、駆け出した。
後で思い合わすと、その日の昼、清盛の手勢が、この附近を、しらみつぶしに、詮議せんぎ してまわった後なのである。約束の漁師が、来なかったのも、無理はない。
孫六は、東坂東の神官五郎大夫に、実を打ち明けて、その夜を過ごし、なお、不安な様子が見えるので、翌日、為義を負って、叡山えいざん にわけ入り、西塔の黒谷に、身をひそめた。
鈴鹿すずか の関も、不破の関も、ふさ がれているという。それに、この病体では、東国へ下っても、所詮しょせん 、再起の旗あげは、おぼつかない。── かず、髪を ろして、出家となり、子の義朝を頼って、降参して出よう」
為義は、つきつめた思案を、孫六にもらして、西塔の月輪房に得度を受けた。
頼賢、為成、頼仲などの、子たちが、さが しあてて来た、八朗為朝も、次の日、尋ねて来た。
息子たちは、父の法体ほったい 姿を見ると、みな、落胆して、
「もうこの先の意地も、楽しみも、なくなりました」
と、泣きあった。
「否とよ、おこと たちも、いつまで、一つ親の巣にいられるものではない。── おまえたちは、若鳥だ。心々こころごころ で、お汝たちの未来には、いくらでも広い青空がある」
為義は、なぐさめた。しかし、親として、この に、子どもらへ与えるのに、そんな貧しい言葉しかないかと思うと、自責に問われて、さん然と、落涙した。
彼はすでに、嫡男の義朝へ、手紙を書いて、それを、花沢孫六にもたせ、都へ使いに出していたのである。
その孫六が、帰って来た。
吉左右きつそう はと、まず、訊ねると、
頭殿こうのとの (左馬頭義朝) には、お手紙を拝されて、非常なおよろこびでございました」
と、孫六の答えは、いそいそしていた。
「会ったのか、直々じきじき に、手渡したのか」
為義は、さすがに、義朝のこまかい起居を、すぐ知りたがった。
「されば、お館へ伺いましたが、御不在なので、ふと、思いついて、常盤ときわ 御前ごぜ のお住居へ行ってみました。おりもよし、おられました。── よろい も解かれぬお身なりのまま、幼い和子たちを、おひざへ寄せて」
「うム、孫たちを、抱いていたか。義朝も、子を持つ父の心は、知ったであろう。常盤との仲にも、はた、二人の子があったの」
「いえ、常盤御前のお腹には、なおもう一方、お妊娠みごもり のように、拝されました。頭殿こうのとの が、常盤殿へのお心づかいも、そのため、一しおこま やかにお見うけ申されます」
「そうか、そうか。常盤とやらも、気だての良い女性にょしょう とか、彼のみは、幸せよも」
── それは皮肉でも憎しみの反語はんご でもない。じつに自然な父性のつぶやきとしてもれたのだ。しかし彼のまわりにいる義朝の弟たちは、どう聞いたか、みな、無表情そのものを、顔並みにそろえていた。
為義は、その間に、義朝の返書を、黙読していた。
(── お待ちいたします。加茂のただす の森まで、お渡りあれば、家人けにん をもって、お迎え申し上げまする。構えて、お気づかい遊ばすな、義朝が軍功に代えても、朝廷へおとりなしは仕りますから)
と、おおやけ には、追捕の勅命をうけている元凶でも、手紙は、わたくし のもの。── 子から父への手紙、父が読む子の手紙、ただ墨と紙だけのものであるわけはない。
しかし、この父が、自分たちと別れて、兄義朝の門へ、降参人となって行くということには、頼賢も為成も、みな喜ばない色だった。わけて為朝は、我慢のならないように口を切った。
「父上。そのことは、何とか、御思案を変えられぬものでしょうか。兄にはら は、わからぬが、危険この上もないことだ。案じられます。おとど まりください」
「いや、八朗、さはいうな。義朝とて、本心は、あざむけぬ。辛いには違いないのだ。父が、彼をたの んで参るのも、身の命惜しさにではない。弟どものおゆる しをも、兄をして、朝廷へお願いさせてみようがためじゃ。・・・・それが、義朝自身、己の苦悩を救う唯一の途でもあるまいか」
「ちがいます。ちがいます・・・・」 為朝は、かぶりを振りつづけて、強く ── 「仰せは、父上のひと合点がてん と申すもの。いくら兄でも、父上を罪にしたくないのは当たり前です。出世しても、寝覚めのいいはずはありませんから。しかし、ひるがえって、他を御覧なされませ。新院は、まさしく、主上の御兄に当たるではありませんか、でも、朝廷はこれをお罰しになりませんか?・・・・また、左府頼長は、関白忠通どのの実弟です。兄弟なればとて、それも、ゆる されましょうか」
と、そのあり得ないことを、力説した。
為義も、うなずいてはいる。弱冠の為朝にしてはと、その言葉に感心して、陶酔している風にさえ見える。けれど、思い直そうとはいわない。理由は、変った。
「が。・・・・のう。すでに孫六を使いに出して、為義がここにおることも、はや都に知れた以上は ──」
そしてまた、こうも言った。
「退いて、東国に再起をはか ることが出来ぬとすれば、進んで、身を運命に任せ、都に名乗り入って、一 の活路を求めてみるしか、策はないのだ。── ただ一縷の」
ついに、彼は、その翌日、花沢孫六ひとりを連れて、叡山から加茂へ、降りて行くことになった。
「── 生き長らえても、これが、最後のお別れとなろう。いわんや、危ういお行く先」
と、子どもたちは、父について、どこまでも、追うが如く、送って来た。
もう一里、もう半里と。
孫六の肩にすがって行く為義は、ときどき、その肩越しに振り向いて、言った。
「皆よ、「人里が近い。もう、ここらで、別れよう。・・・・送るも、送らるるも、果てしはない」
そのたびに、後ろの子らは、みな泣いた。
頼賢も為成も、ひじrt> を面に当てて、立ちすくみ、為朝は、空を仰いで、しゃくり上げていた。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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