〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
ほ う げ ん の 巻

2013/03/20 (水) 夜 の 親 (一)

賀茂のただす の森に、迎えの輿こし が、待っていた。
為義は、その夕暮れ、輿のまま、義朝の屋敷の門へ入った。
わが子の家でもあるが、また、敵将の陣中でもある。
ひそやかな一殿に、為義の身は、そっと、運ばれた。かしず きの女房が、三人つき、風呂ふろ 、髪のこと、衣服の世話、また、薬餌やくじ 、食物の気配りまで、手の届かないところはない。
熟睡した。蚊にも食われず、野獣にも脅かされず。── やはりわが子の家であったよと、あくる朝の陽ざしに思う。
昼。── 人を遠ざけて、為義と義朝は、父子二人きりで、初めて会った。
初めて ── というのもおかしい。別れて、半月ほどしかまだ過ぎていないのだ。── しかし、実に、相見ざること十年も経ったように、感じたのである。
「・・・・・・」
為義も、涙に暮れ、義朝も涙に暮れた。言うべき言葉が、二人とも、見つからない。
骨肉とは、不思議な感情のものである。憎しみあえば、きりもなく憎く、とても他人の比ではない。いかに強悪な他人をのろ う憎念でも、肉親の間に結ばれた宿怨しゅくえん ほどではない。他人であって他人でない、何かが、自分に交じっている証拠であろう。自分で自分をいと うのか。愛するがための反動なのか。わからない程、盲目にまで組み打ってしまいやすい。── だから、骨肉あい むの惨劇は、獣人時代の原始本能を、まだ人間が忘れきれないでいるままに、ときおり、突兀とつこつ と演じ出す、恐ろしい遺習といえないこともない。
けれど、また、一つに寄って、涙を見合えば、他愛もなく、もとの一つに結ばれてしまう。涙の一滴は、隔てられた中の、氷河も解く。
「・・・・父上、お許し下さい。お心にそむ いた罪を」
「罪をとか・・・・義朝よ。この父こそ、大逆の名をうけた朝廷の科人とがにん 。父として、お身に臨む資格もない。降参人として、扱うてくれい」
「身を裂かれまする。・・・・そう、仰せられては」
「いやいや、為義は、年も年。覚悟はしておる。ただ頼むは、頼賢、頼仲、為成などの、弟どもだ。── また、罪もない女どもや、幼子おさなご たちだ。為義が、身に代えて、助けて給われ」
「なんの、わたくしの軍功に代えても、お父上の御助命の儀は」
「けれど、朝廷にも、人は多く、人の心はさまざま。お身まで、誤られてくれるな。── とまれ、お身は源家の嫡男、お身さえ立ってくれれば、家名は絶えぬ」
あくまで、無理はしてくれるなと、為義は、この にもなお、親心を、捨てきれない。── いくさ に、先だって、家重代の “源太産衣” を、ひそかに、送り届けさせたときの心と、変ってはいない。
義朝は、その夜、牛車の内に隠れて、少納言信西を、その館にたず ねた。
会われなかった。信西は、ここ多忙を極めていて、おそらく、今夜も、宮中にお泊りでしょう。── と家人けにん は言う。
次の夜、また、訪れた。
幸いに、信西入道はいたが、義朝の嘆願のすじを聞くと、
「なに、為義の助命を取りなしてほしいと?。・・・・さような大事は、信西の一存では成らぬことだし、ことに、私邸で聞くのは、はなはだ迷惑する。よろしく、ちょう に出て、諸卿に訴え給え」
と、まったく、にべもない返辞である。
もっとも、それより数日前に、
(清盛は、叔父忠正の首を、斬って出した。御辺も、一日も早く、忠誠をあか し立てられよ)
と、暗に、督励していた信西である。この人にすがるのは、いたずらに、怒りを求めるものかも知れない。
だが、義朝は、あきらめなかった。
中院ちゅういんの 中将雅定まささだ こそ、情けある人と聞いている。右大臣をも勤め、人も心服し、新帝後白河の御信任も篤いと聞いている。
雅定の私邸を訪れ、一夜、義朝は、自分の苦しい気持を聞いてもらった。雅定は、西行などとも交わっている歌人で、そのころの艸子そうし にも 「あはれありがたき人がら・・・・」 と書かれているような温情家だった。
「さあ、お心は、よく分りますが、何しろ、世上のけわしい動き方が、そのまま、宮中の様相にも現れているような時ですから、おん許の、切なる御嘆願が、閣議の れるところとなるや否や、自分にも、ひきうけ切れぬが、とにかく、骨を折ってみましょう。── 自分も、ともに、主上におすがりして」
と、雅定は、こころよく、 いてくれた。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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