〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
ほ う げ ん の 巻

2013/03/19 (火) い か ず ち 雲 (一)

どて の上、その蔭、河原のかなたこなた、どこにも、あり のような人群れが、かたまっている。首斬りの見物人である。
もう、珍しくもない程、この川すじでは、打ち首が行われた。昨日も、今日もという程にである。
それでも、やはり人が寄る。人に見せ示すのも刑罰目的の一つかのように、役人や、刑場の下部しもべ たちも、べつにそれを、追うでもない。
「・・・・ りそうな」
と、あちこちの群集は、空もようを気にしながらも、なお数を増していた。六条河原の一角に、はたはたと、吹きちぎれそうに鳴りはためいている黒白の幕を遠く見ながら、ポツポツと、雨つぶが落ちて来ても、立ち去りもしない。
荒むしろが敷かれ、さっきから、すでに三人の若者が、一座一座を離し合って、行儀よく、すわっていた。
官の靫負庁ゆきえのちょう から、検死として、右少弁惟方これかた下官げかん だの、獄吏が、出張しており、さきに準備をして、六波羅から、清盛が忠正をひいて来合わすのを、待つのであった。
群集が、ざわ めき出した。清盛たちが見えたのである。馬を降り、河原へ下って来る。惟方の下官たちと、挨拶を交わしてなどいる。── そのまに、右馬助忠正は、なわ を、非蔵人時忠にひかれ、大勢の武者に守られながら、空いている荒むしろの一つに、引き据えられた。
「や、や。父上っ」
長盛、忠綱まど、先に死の座にいたかれの息子たちは、跳び上がって、忠正のそばへ、駆け寄ろうとした。
しかし、縄じりは、一座一座の後ろに打ち込んであるくい にしばりつけられてある。そのため、長盛も、忠綱も、自分の力で、横へよろめき、または、腰をついて、仰向けにたおれた。
「立ち騒ぐな。観念のほかはない」
さすがに、子を見ると、忠正も、心を父の位置にさだめて、そう、たしなめた。
「恨めしくもあるが、ありがたくも思う。ここで、お前たちに相会おうとは、思わなんだ。父子の宿縁は浅からぬものだ。・・・・やおれ、長盛よ、忠綱よ、また正綱よ。聞くがいい」
忠正は、声をふりしぼった。
六波羅を立つときに、さんざん、どなったので、もうのど もシワがれて、かすれがちな声である。
「よいか、三名の者。── われら父子は、武運つたなく、一緒にここで首打たれても、まだまだ、清盛ごとき、忘恩、畜生のたぐい にまで、堕落した者ではない。新院にお味方したりとて、何の非行ぞ。新院の 恩寵おんちょう を、など、忘れ得よう。── 清盛を見よ、むかしの平太清盛の今を。・・・・恩知らずとは、かれのことよ。われらは立派なのだ。恥じるところはないのだぞよ」
清盛は、床几しょうぎ についていた。無言である。
忠正がにらみつけてくる眼を、かれも、にらみ返してはいた。
だが、死を直前にしている者の眼に、抗し得る眼はとてもない。清盛の面は、刻々、蒼白そうはく に変わっていった。
「無慈悲な鬼よ、清盛というやつは」
こんどは、眼ばかりでなく、舌鋒ぜつぽう も向けてきた。
「耳あらば聞け、やい平太。むかし、忠盛どのが、稗粥ひえがゆ すらも、食べかねて、 れを使いに、堀河のわが屋敷へ、幾たび、借銭に来たことか。よも、忘れはしまいが」
「・・・・・」
「冬の寒空にも、ヨレヨレな布直垂ぬのひたたれ を着、忠正の門へ、物乞いのように、ベソをかきに来たのは、だれだっ。・・・・あわれと思い、くれてやる冷え飯に、がつがつ涙を流して、むさぼ り食うて帰った餓鬼が、いまの播磨守清盛とは、じつに笑止だ。── いや、それはよいとしても、幼少より大恩ある叔父をだま していいのか。かりにも、叔父と名のつく者の首を、官へ売って、なお、立身出世をしたいのか。人間か、それが」
「・・・・・」
「畜生にも、劣るものではあるまいか、やいっ。── 平太っ。一言でもあらばいってみい」
「・・・・・」
「あるまいが。ないはずよ「。忠正は、なんじら一家の救いの親だ。忠盛の実の弟だ。それを斬る? ・・・・それも、前世の約束かも知れぬ。よろしい。斬れっ。おれは、念仏など申さぬ、忠盛どののおん名を称えてのみいよう。さ、斬れ、平太」
かれの声は、一種の鬼気をもってひびき、口からはほのお が吐かれて来るようでさえあった。
おりふし、雲は密度を加え、地界はくら さをましてきた。

遠く雷鳴が翔けている。夕立を前駆する冷たい一陣の風が、瀬に、しぶきを立て、砂をとばし、ここの幔幕まんまく を、吹きたおした。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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