忠正は、おそく、眼をさました。 入れられた下部
長屋の一棟一棟ひとむね は、粗末で、薄暗いが、夕べは、薬湯やくとう
も与えられ、粥かゆ も腹いっぱい食べ、まずこれで、命だけは助かろう
── と、ぐっすり寝込んだ今朝なのである。 朝の食事も、美味おい
しかった。 彼にも、子がある、しぐ子を思う。 長男の新院蔵人長盛、二男の忠綱、三男正綱など、ちりぢりに、戦場を紛れ落ちたが、捕つか
まったか、討たれたか、それとも、いずこの空にいるやら ── と思いやる。 「右馬助どの、お在わ
すか」 たれか、うかがうように、入って来た。 忠正は、理由なく、ぎょっとしたが、凝視すると、三十四、五かとも見える良い武者である。身内とは思えるが、清盛とは、似ていない。 「おる。──
おるが、だれだ」 忠正は、強いて、威を張って答えた。 「非蔵人ひのくろうど
時忠です」 「お、御台盤所みだいばんどころ
の御舎弟か。はからずも、甥おい
の播磨どのの情けにより、思わぬ廂ひさし
の下に、助けられる身となった。何かと、お世話を頼み入る」 「いや、心得ました、もののふは、終わりこそ大切です。もし、ひげも剃そ
りたし、お髪ぐし も上げておかれたい思し召しなれば、その間、しばらく、お待ちしておりましょう」 「お待ちして・・・・とは、どこか、他所へこの身を、移されるのか」 「それは、後刻。──
今は、お縄なわ だけをかけに来ました」 「えっ、縄を。た、たれの、いいつけで」 「もちろん播磨守さまの、おさしずで」 「そんなはずはない。播磨どのを、呼んでくれい。話が、違う」 「いや、参られても、同じことです。今朝、すでに、官の下文くだしぶみ
が達しられ、右馬助忠正の首、申さる
の刻 (午前四時) までに、打ち了お
わるべしと、お沙汰さた は、決まっているのですから」 「げっ・・・・」
と、のけ反ぞ って、 「ば、ばかなっ。そんなはずは」 と、立ちかけるのを目がけて、時忠が、ばっと、組みついて行ったと思うと、板敷きが音を立て、二人は、諸仆ものだお
れに、重なっていた。 物音を合図に、どやどやと武者七、八人が混み入って、難なく、忠正に縄をかけてしまった。 「甥を呼べ。甥の播磨を、これへ連れて来い。このあわれなる老人を、だますという法やあるっ」 忠正は、わめきつづけた。 けれど、外の戸は、打ちつけられ、番の兵士だけをおいて、時忠は、さっさと、どこかえ立ち去ってしまった。 清盛は、今朝から、舘たち
の一室にすわりこんでいた。昨夜の信西入道の言葉を、何度、頭に繰り返してみたかもしれない。が、依然として、冴さ
えて来ない。 「── 義兄あに
上、致してまいりました」 「や。時忠か。何か、吠ほ
えたか」 「くどくど、わめきました。お年に似もやらず、往生際のお悪い老人です」 「いや、こうなるなら、初めから、情けをかけずに、いきなり縄を打った方が、まだ、罪が軽かったよ」 「何を、仰せられます。罪人は、右馬助。──
軽いも重いも、殿に、罪のあるはずはありません」 「今し方、官から届いた下命の状を見たか」 「拝見しました。申さる
の刻、六条河原において、刑を了りょう
せよとの」 「忠正どの一人の処分ですら、夜来、心を病んでいたのに、なお、他所で召し捕っておかれた忠正の子、長盛、忠綱、正綱などの三名をも、同時に、河原で斬き
れとの御示達だ。── 信西どのも、ちと、むごい」 「なんの、合戦の日には、草鞋わらじ
が、血泥ちどろ で重くさえなりました。これしきのこと」 「戦いくさ
は、ちがう。戦はな」 「これが、戦です。申の刻の六条河原も、どうして、戦の外のことでしょう」 「ア、そうか、うむ・・・・」 時忠の単純さは、かえって、信西入道の理詰めよりも、清盛の気持を、軽くした。割り切れないまでも、雑念は、片づけられる。 「昼寝だ。寝ておこう。まだ、申の刻には、間がありすぎる。──
時忠、枕まくら がわりに、あそこの、手筥てばこ
を取ってくれ」 清盛は、横になった。 そして、寝ながら、大殿廂おおとのひさし
をこえて、夏の空をふと仰ぐと、迅はや
い雲が、しきりに太陽の面をかすめ、急に暗く、また、かっと明るく、地上に強烈な黒白を明滅させいぇいた。 |