大ものは、捕
まらない。自首しても出ない。 およそ新院加担かたん
の公卿官人は、あらまし、投獄され、追捕の網の目から逃さなかったが、かんじんの源氏の六条為義と、平氏の右馬助忠正との、武将の二巨頭だけが、杳よう
として分からない。 二十日がらみの黄昏たそがれ
である。 今日のみは、十日以来の垢あか
も湯殿ゆどの でゴシゴシこすり落し、甲冑を脱いで、寝たいものだという欲望をみずから許して、清盛は、六波羅の私邸へ、もどって来た。 「あ・・・・。播磨どの、待たれい。・・・・は、播磨どのっ」 五条を渡って、橋だもとの、暗い木陰から、いきなり、彼の鞍くら
わきへ、跳びついて来た僧侶そうりょ
がある。 夏というのに、布で、眉深まぶか
に、顔を包み、さらにそのうえに、笠かさ
をかぶっている。破れたる法衣。そして、杖一つ。 その杖を、地へ捨てて、僧侶は、ひしと、清盛の固い具足の片足に、しがみついた。 「・・・・わ、わしじゃ、播磨どの。・・・・なつかい、播磨どのよ。・・・・わしじゃがな」 「なにっ」 清盛は、グクと、ある直覚に、つき抜かれた。 ──
で、すぐ、立ち騒ぐ供の郎党たちを、先に、 「待て待て、手荒にするな。乱暴者ではなさそうだ」 と、制止した。しかし容易に、その者へ与うべき言葉も知らないように、彼自身の方が、まったく、何か、まごついていた。 「ア・・・・。そうだ。お前たちは、ちょっと、離れておれ。向うの木陰で、休んでいるがいい」 彼が、郎党たちを、遠ざけたと見ると、僧侶は、彼の馬のあぶみに、胸を押し付けて、さんぜんと、泣き出した。 「・・・・お、甥おい
よ。これ、わしは叔父おじ の右馬助忠正じゃ。助けて給われ。・・・・恃たの
むは、肉親の情けのみぞ。・・・・お許もと
を頼って、尋ねて来たわさ。播磨どのよ。いや、なつかしいわが甥御よ。どうか、命を救うてくれい」 「うるさいっ。お離しなさい。清盛に、伯父はいない。あなたから、甥と言われる覚えはない」 「な、なにをいうぞ。──
お許の父、刑部卿忠盛の弟、この忠正」 「その、忠正どのは、かつて久安三年の夏、この清盛が、山門の神輿に、矢を射た騒動のときに、身のかかわりになるを怖れて、義絶すると、仰っしゃったはずではないか」 「あれはもう昔がたり。あ・・・・あのときは」 「あのときも、このときも、日月の下。恥をお知りなさい、恥を」 「悪かった。・・・・悪左府の頼長に誘われて、新院方の味方に参じたのが、忠正が一生の不覚よ。義絶するといった一言は、地に手をついて、詫びもしよう」 「いいや、今日の詫びごとは、うけられぬ。あなたは、公の罪人だ。逆徒の首謀者のひとりだ」 「五尺の身、置き所もない、この叔父を、お許は、見殺しにするというか」 「命乞いは、朝廷へなさるがよい。清盛は知らん。清盛は、追捕の任にあり者。縄なわ
をかけて、突き出すまでだ」 「無情やな! ・・・・。ああ」 「消えて失せい。どこへでも、逃げて行けやいっ。目の前にらねば、縄を打つすべもない」 「いやいや、浄土谷の奥に隠れたまま、食べ物らしい物を食べず、ようやくこれまで、辻々のきびしい兵の眼を逃れて、はうばかりに、よろよろ頼って来たものを・・・・。ここを去れば、たちまち、よその武者の手で捕つか
まるのは知れている。・・・・うム、観念した。播磨どの、わしを討て、わしの首をはねてくれい」 「討てという程なら、自首したらどうです。自首がおいやなら、自害するも、武者らしい」 「いや、自害もせぬ、自首もせぬ。血肉を分けた甥がいると思えばこそ、一途いちず
に、人間の情を信じて、頼って来たのに、そのひとりの甥にすら、見離されたとあれば、もはや、天地に頼る何者もない。甥の手で、成敗をうけよう。本望だ。それも本望。播磨どの、討て。わしを、討て」 いかんせんこ、この叔父たるや、清盛のニガ手である。 清盛の鼻タレ時代を知っている。貧乏、放埓ほうらつ
のころも、知り抜いている叔父なのだ。当然、清盛が情にはもろい男という点も、心得てのことだった。── こう迫っても、決して、討てる彼ではないことを、今、目の前にある清盛の容子ようす
からも、忠正は見抜いていた。世に長た
けた老獪ろうかい な彼の眼から見れば、なおまだ、清盛などは、ちょっぴり大人おとな
になりかけたぐらいな者にしか思えなかったに違いない。 口と涙で、動かせる。彼を動かして、朝廷に命乞いをしてもらおう。罪一等を減じられても、命だに助かれば、──
と、この窮鳥きゅうちょう は、老年だけに、充分、推し量って、飛び込んで来たのである。 見込まれた清盛は、まさに、忠正が見たとおりのにんげんであり、むしろ、窮鳥は、忠正でなくて、清盛の方がそれみたいであった。 ついに、彼は、忠正を、その晩、六波羅の長屋の一隅いちぐう
に、かくまった。 ── そして、翌晩、」ひそかに、姉小路西洞院の少納言信西の館を、そっと訪たず
ねた。 合戦以来、昼夜、意気軒昂けんこう
たる清盛であったのに、元気もなく奥へ通った。よほど、心の負担に、圧しつぶされたか、思案に、あぐねているとみえ、主あるじ
の入道が出てくる前も、ぽかんと、客殿の燭しょく
に、眼を、うつろにしたまま、すわっていた。 |