重傷者に 灸
をすえる風習は、そのころよく行われた幼稚な外科療法の一つだった。傷グチのまわりを火で縫うほどたくさんにすえるのである。 出血を防ぎ、筋肉の恢復
も早くするらしい。ことに、夏の合戦では、日がたつと、生身のまま、そこから蛆
がわいたりするので、頼長の矢傷の口にも、侍者たちは、やたらに灸をすえた。そして、 (どうか、宇治殿と御対面あるまで、お命の保
ちますように) と、舟底に立ち込める線香と艾
の煙の中で、祈りあった。 だが、灸の熱さに、意識を衝
かれると、全身の苦痛とともに、呼びさまされる。頼長は巨
きな体を、曲げて、 「ア熱
。・・・・熱 。痛い。もう、灸はよせ。死んでもよい。灸は、ゆるせ」 と、子供みたいに、悲泣して、訴えた。 その効果には違いない。一椀
のおも湯も喉 に通らない重態であったが、やがて、宇治へ着いてからも、細々
と、口がきけるくらいな気力はまだあった。 南都の僧兵を利で誘い、洛内へ突入させようと計っているまに、余りに早く、新院方の敗北が伝えられて来たため、一家を挙げて、奈良興福寺の禅定院へ、逃げ行ったと、里人は、うわさしている。 俊成や経憲たちは、やむなく、人を雇って来て、柴舟の中の重傷者を、こんどは、板輿
ににせて、奈良へ歩いた。 これが、十四日の午前である。 真夜半すぎ、へとへとになって、奈良の口まで、たどりついた。 疲れ果てた身をひきずって、禅定院までは、やっと来たが、そこの門前に、輿を置くと、たれもかも、石だたみの上に、 「──
ああ」 といったまま、ヘタばってしまった。 春日の森も、猿沢
の池も、まだ夜明けには間のある狭霧
のうちに眠っていた。ひとたびは、出動しかけたこのの法師勢も、どこへ潜んだか、灯籠
の灯りのはか、一つの火影、一つの人影も、見あたらない。── 都の戦などは、われ関せず、としているような静寂
に見える。 だが、やがてのこと。 俊成、経憲の二人が、門を叩いて訪
うと、すぐ内部に人声があった。そして、禅定院の内にある人びとの夢も、決して、ここの天地とともに、円
に眠っているのではないことが、すぐわかった。 武者が、顔を出した。法師も顔を出す。みな、具足を着、薙刀
を持っている。寝ずの番に立っていた様子である。 そっと、来意を告げると、一時、騒然と、人の気配が揺らいだが、ふたたび静かになったころ、俊成一名だけが、門の中へ通された。 忠実は、起きていた。 いま起きて、急に、衣服を着直した容子
ではない。 俊成は、人心地もなく、かれの前に、ひれ伏した。そして、頼長を連れて、ここまで、やっと落ちのびて来た次第を、逐一話した。 敗戦の状は、ここにいても、忠実は、俊成以上、詳しく、知っていた。──
けれど、あれほど頼長を盲愛していたこの老父が、なぜか、 (よくぞ来た。わしも、会いたかった) とは言わなかった。白きが上に白さを加えた鬢
の毛や、あごの疎? に、かすかな、わななきは見せたが、ほとんど、仮面
のような無表情を、持ちこらえているのである。 ようやくに、忠実は、こう言った。 「やおれ俊成よ。・・・・思うてもみるがいい、氏の長者たるほどの者が、兵仗
の先にかかって、死をとげるなど、なんたる非業
な末路かよ。── さまで不運な者に対面しても、よしないこと。・・・・俊成よ、たのむ。・・・・どうか、音も聞こえず、まして、眼にもかからぬ所へ、連れ去ってくれい」 言い終わると、かれは、とたんに、血を吐くように咳
いた。五体の骨もバラバラにしてしまう程、泣き伏したまま、背に波を打たせた。 すぐ隣の部屋には、かれが、ここへ抱えて避難させている ── 頼長の妻や、そのほか、たくさんな家族が、みな、寝もやらず、聞き耳たてていたらしい。 それらの人々も、いちどに、隣で、わっと泣いた。泣きすすった。 忠実の言葉は、頼長に対しては、無慈悲きわまるものだったが、その心情には、辛い、老人の分別があった。──
もし、ここに門へ、頼長を入れたら、頼長の妻子眷族
は、みな頼長と同罪に処分されることは疑う余地がない。かれは、頼長を捨てて、むしろ、頼長の妻子や多くの肉親を、助けようとするのであった。 「・・・・・お別れ申し上げまする。おそらくは、これが、最後の」 俊成は、涙の沼からはいあがるように、やかて立って、しごすごそこを出た。 門の外には、板輿が、露に打たれて、なおそのままな位置にzる。 俊成は、板輿に中で呻
きながら待ちぬいた頼長の耳もとへ、忠次の心と、そして言葉とを、ありのまま伝えた。 「・・・・ち。・・・・ち、父上」 板輿が、ガタンと、動いた。頼長が身を起こしかけた途端にである。そして、何か、詫
びるような言葉を吐いたが、意味はよく分らなかった。胸中のものを、遠くへ、届かせようとする、感情のかたまりみたいな叫びだった。 同時に、もう一度、板輿が、反対の方へ、グラッと揺れたと思うと、中は、深い井戸の底みたいに、しいんとしれしまった。 「大臣
っ。・・・・頼長さま」 俊成と経憲と、左右から、板輿にすがって叫んでみたが、それきり、答
えはなかった。 頼長は、舌の先を咬
み切って、自害していたのである。 板輿は、そのまま、哀れなる柩
となった。 あれほど、権力に執着し、名声や栄花の争奪に、憂き身をやつした左大臣藤原頼長が、最期に、克
ちとった物は、まちがいなく、この板輿の柩一個であった。 「── 夜が明けては」 と、俊成たちは、奈良坂を暗いうちに降りて、般若野
へ急いだ。 そして、野末に穴を掘るのすら、人眼を恐れながら、板輿のまま頼長の遺骸
を、そこの土中に埋 けた。 俊成は、その場で髪を切って、同じ穴へ投げ込んだ。経憲も、ほか二、三人も、それにならった。とはいえこの先の運命は、自分自身にも分らない。ただ、ひとまず出家して、沙門
の蔭に頼るほかはなく、やがて、思い思いに別れ去った。 |