次の日である。 新院には、一夜をお考えになった末、ここからそっと、仁和寺
へ渡られた。 仁和寺の門主、覚性法親王は、鳥羽の五ノ宮で、新院にとっては、実の弟君である。 「── とはいえ、今は、よも入れらじ、ただ押して輿を舁か
き入れよ」 ── と新院は、あらかじめ、おん眼を閉じて、家弘へいいつけてあった。 果たして、すげなく拒まれた。 それを、たって押し切って、御室おむろ
の別院へ、おはいりなったのである。門主は、不在とあって、新院との御対面もない。内裏へのてまえ、さもあらめと、新院は、お恨みもなさらない。むしろ、やっと、最後の運命を待つところへ来た
── という落着きが、御容子ごようす
に、うかがわれた。 「内裏方へ、敵対し奉ったわたくしたちが、お側にいるのは、かえって、よろしくありますまい。ここまで、御先途をお見とどけいたした上は」 と、家弘、光弘は、お暇をこうて、その夜、仁和寺を立ち去った。こう二人は、まもなく修験者の群れに入って、ともに、他国へ落ちて行ったという。 麻鳥も、いつのまにか、姿を、かくした。 いずこへ落ちて行ったやらと、おりおり、新院のおん瞼まぶた
には、素朴な彼の姿をお描きになるのであった。 天皇、また上皇としての、およそ二十年ほどの間に接しられた数多あまた
なる衣冠束帯いかんそくたい の権力の中の人間と、素肌すはだ
で素心な、一個の麻鳥とを、思い比べて、深い感慨に耽ふけ
られることも、ままあった。 ── とまれ、仁和寺の奥の人なき処、冷ややかな寂光の幾日かは、新院にとって、昏々こんこん
と、深い眠りをめぐみ、また、人間を識し
り、人間社会の実相を考えるのに、こよなき機会であったにはちがいない。 けれど、これをもって、御生涯の清算がついたとは、いえないのである。剃髪ていはつ
して、罪を待つおん身に、果たして、朝廷からどういう処断の命が降りるか。── また戦いくさ
に勝てば、勝った方の側にも、また新たな人間葛藤かっとう
が、そこに起こり、新院処分の議判にも、さまざまな人心が、もう、どこかで、相手と形を変えた闘たたか
いを、闘い合っているに違いない。 |