〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
ほ う げ ん の 巻

2013/03/17 (日)  だま (三)

夜明けとともに、どこへ行ったか、姿の見えなくなった麻鳥が、やがて、ひょっこり、帰って来た。
峰向うの僧庵まで行って、貧しい食べ物を、 けてもらい、いま戻って来ました ── という。
新院は、まだ、死者のように、眠っておられた。谷間の崖の岩蔭である。木の枝から枝へ いた柴の屋根が、おからだの上に、落葉をこぼし、直衣のうし のお袖には、きのうの戦火の焼けこげが見える。
「せっかくだが、かて を炊くにも、煙りをたてることは出来ない・・・・夜明け前にも、上の方で、敵の兵らしい声がした」
家弘は、一睡もしない顔色であった。そして、なお言うには、
「新院には、御出家あそばすお心でいらせられる。・・・・が、この山中では、 得度とくど はおろか、おぐし ろすこともできぬ。どこぞ探し求めて、法師の乗る古輿でもよいが、輿はあるまいか。輿があれば、お乗せまいらせて、心当たりを頼って行きたいが」
麻鳥は、光弘を れて、里へ降りた。やがて、どこから求めて来たのか、雨ざらしに置かれてあったような張輿はりごしにな って帰って来た。
その日、新院は、その古輿に召されて、ともかく、山から街へ、忍び出られた。
もとより家弘、光弘は、武装を捨てている。狩衣の袖をからげ、下袴したばかま をくくしあげて、いずこの下臈げろう とも知れないように装いを変えていた。そして御輿の後先を、二人してかつ ぎ、一人はお供にそい、ときどき、肩を代わり合った。
(もし、捕われなば、輿も出ぬまに自害を・・・・)
よ、新院のおんまゆ は、無言のお覚悟をひそめていられるし、かつ いで行く家弘、光弘も、気が気ではない。span>恟々きょうきょう として、薄氷を踏むとは、こういうときの思いであろう。しかし、街中へ出てみると、かえって神経は解放され、草木の音にも心を いでいた山の中とは、自然、異なるものがあった。
──戦い止みぬ、と聞こえたせいか、避難していた街の者も、荷を負い、老幼の手を引き合って、山から、洛外の田舎から、ゾロゾロわが家へ帰って行く。
新院のお乗物も、それに交じって歩くには、まことに、ふさわしいボロ輿であったし、また、なんとなく、気もなご む。
けれど、光弘といい、家弘といい、輿をかつぐことなどは、まったく慣れないわざ なので、眼もくらむような労働だった。ほこりと汗を、顔じゅうに流して、
「はて、いずこのかど へ、たよ ったらよいか」
と、よろよろ、うろうろ、夏七月の げつくちまたを、行き迷った。
新院は輿の内から、
「阿波ノ局のもとへ」 と、小声に仰せ出された。
それは、二条大宮のあたりに住んでいる新院のお妃のひとりである。訪ねてみると、門は閉ざされ、奥まった所の妻戸つまど遣戸やりど もみな閉じていて、人気もない様子であった。
「さらば、左京大夫教長のりなが の家へ」
との仰せ出でに、こんどは、三条坊門へ、 き参らせてみたが、ここも同じような空き家である。教長は、合戦の寸前に、白河北殿を抜け出して、出家してしまったとかで、その行方を知る者もない。
院の女房に、少輔しよう ノ内侍という者がある。思い出して、内侍のかど を、たたいてみたが、ここも人音はなく、仔猫が一匹、まがき の下にいただけだった。
西を訪い、東を訪ねても、ここ一軒、例外という所はない。
たまたま、人気のある館と思えば、凱歌がいか をあげている敵方の門だった。 「いまは、この身一つを容れる寄る辺もないのか」 と、新院はおん涙にくれるばかりである。
「── span>とら われて、から き憂き目を見るよりは」 と、おりおり、死を思い給うようなつぶやきももらされた。
「いえ、いえ、なお、もう一家、心当たりもありますれば」
と、家弘は、黄昏たそが てから、また、よろ うように、輿をかつ いだ。たどり着いた先は、知足院という古びた小寺だった。
ここの老僧は、家弘の家人けにん の縁者筋らしく、粟粥あわがゆ を煮て、新院の供御くご にまいらせた。
そしてこの夜、この無名僧の手により、やぶ蚊の蚊うなりと、うす暗いともし灯の下で、新院は剃刀かみそり をうけられた。多恨、三十七歳の御僧形である。余にも、生々なまなま しく、傷ましく、随従の三人は、涙にむせんだ。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next