夜明けとともに、どこへ行ったか、姿の見えなくなった麻鳥が、やがて、ひょっこり、帰って来た。 峰向うの僧庵まで行って、貧しい食べ物を、頒
けてもらい、いま戻って来ました ── という。 新院は、まだ、死者のように、眠っておられた。谷間の崖の岩蔭である。木の枝から枝へ葺ふ
いた柴の屋根が、おからだの上に、落葉をこぼし、直衣のうし
のお袖には、きのうの戦火の焼けこげが見える。 「せっかくだが、糧かて
を炊くにも、煙りをたてることは出来ない・・・・夜明け前にも、上の方で、敵の兵らしい声がした」 家弘は、一睡もしない顔色であった。そして、なお言うには、 「新院には、御出家あそばすお心でいらせられる。・・・・が、この山中では、御ご
得度とくど はおろか、お髪ぐし
を剃お ろすこともできぬ。どこぞ探し求めて、法師の乗る古輿でもよいが、輿はあるまいか。輿があれば、お乗せまいらせて、心当たりを頼って行きたいが」 麻鳥は、光弘を伴つ
れて、里へ降りた。やがて、どこから求めて来たのか、雨ざらしに置かれてあったような張輿はりごし
を担にな って帰って来た。 その日、新院は、その古輿に召されて、ともかく、山から街へ、忍び出られた。 もとより家弘、光弘は、武装を捨てている。狩衣の袖をからげ、下袴したばかま
をくくしあげて、いずこの下臈げろう
とも知れないように装いを変えていた。そして御輿の後先を、二人して舁かつ
ぎ、一人はお供にそい、ときどき、肩を代わり合った。 (もし、捕われなば、輿も出ぬまに自害を・・・・) よ、新院のおん眉まゆ
は、無言のお覚悟をひそめていられるし、舁かつ
いで行く家弘、光弘も、気が気ではない。span>恟々きょうきょう
として、薄氷を踏むとは、こういうときの思いであろう。しかし、街中へ出てみると、かえって神経は解放され、草木の音にも心を研と
いでいた山の中とは、自然、異なるものがあった。 ──戦い止みぬ、と聞こえたせいか、避難していた街の者も、荷を負い、老幼の手を引き合って、山から、洛外の田舎から、ゾロゾロわが家へ帰って行く。 新院のお乗物も、それに交じって歩くには、まことに、ふさわしいボロ輿であったし、また、なんとなく、気も和なご
む。 けれど、光弘といい、家弘といい、輿をかつぐことなどは、まったく慣れない業わざ
なので、眼もくらむような労働だった。ほこりと汗を、顔じゅうに流して、 「はて、いずこの門かど
へ、頼たよ ったらよいか」 と、よろよろ、うろうろ、夏七月の焦こ
げつくちまたを、行き迷った。 新院は輿の内から、 「阿波ノ局のもとへ」 と、小声に仰せ出された。 それは、二条大宮のあたりに住んでいる新院のお妃のひとりである。訪ねてみると、門は閉ざされ、奥まった所の妻戸つまど
、遣戸やりど もみな閉じていて、人気もない様子であった。 「さらば、左京大夫教長のりなが
の家へ」 との仰せ出でに、こんどは、三条坊門へ、舁か
き参らせてみたが、ここも同じような空き家である。教長は、合戦の寸前に、白河北殿を抜け出して、出家してしまったとかで、その行方を知る者もない。 院の女房に、少輔しよう
ノ内侍という者がある。思い出して、内侍の門かど
を、たたいてみたが、ここも人音はなく、仔猫が一匹、籬まがき
の下にいただけだった。 西を訪い、東を訪ねても、ここ一軒、例外という所はない。 たまたま、人気のある館と思えば、凱歌がいか
をあげている敵方の門だった。 「いまは、この身一つを容れる寄る辺もないのか」 と、新院はおん涙にくれるばかりである。 「── span>捕とら
われて、辛から き憂き目を見るよりは」
と、おりおり、死を思い給うようなつぶやきももらされた。 「いえ、いえ、なお、もう一家、心当たりもありますれば」 と、家弘は、黄昏たそが
てから、また、よろ這ば うように、輿を舁かつ
いだ。たどり着いた先は、知足院という古びた小寺だった。 ここの老僧は、家弘の家人けにん
の縁者筋らしく、粟粥あわがゆ
を煮て、新院の供御くご にまいらせた。 そしてこの夜、この無名僧の手により、やぶ蚊の蚊うなりと、うす暗いともし灯の下で、新院は剃刀かみそり
をうけられた。多恨、三十七歳の御僧形である。余にも、生々なまなま
しく、傷ましく、随従の三人は、涙にむせんだ。 |