それは、精神的にも、肉体的にも、打ちのめされた御生命の、真実なお気持だった。 ことには、こう大勢が、群れ彷徨
っていることは、われから、危険を呼び求めているようなものだ。矢はつき、馬は捨て、五体はたれも、綿のように疲れている。── むしろ、散々ちりぢり
に、別れた方が、敵の眼をくらましやすいこと万々である。 「朕ちん
のそばには、家弘と光弘だけが、いてくれればよい。明日を待って、いずこへなりと、身の寄る辺べ
を求めようほどに」 かくまでも、新院が、仰っしゃるものを、人びとも今は、叡慮えいりょ
を曲げて、強し い奉る気にもなれなかった。といって、ここでの決別は、みな断腸の思いにせかれた。ある武者は、声を放って泣き、ある公卿は、もの狂わしゅう、新院のお袖そで
にすがった。── しかし、果てない事だと、みな覚った。かかる上は、夜の明けぬうちにこそ ── と、やがて、五人十人と、お暇をつげて、山風の闇やみ
に紛れて、おのの、どこへともなく落ちて行った。 源為義の一群れも、右馬助忠正たちも、最期に、山科路やましなじ
や、比叡方面へ、別れ別れに立ち去った。 「・・・・・・・」 なぜであろうか。ぽつねんと、孤寂の中に置き捨てられた時、新院のお心は、かえって、ほっと、ある安けさを、お感じになった。 「・・・・家弘」 「はい」 「光弘も、おるや」 「おん前にござりまする」 「お卿こと
たち二人のみ、残ってくれたか。悲運よのう。あわれ、この身に殉じゅん
じて」 「なんの、うれしいことです。かく御先途せんど
を、見奉ることのできる身は」 「ああ、疲れ果てた。・・・・身を横にしたい。こうしているにも耐えぬ」 「あっ、もしっ・・・・。ここは、杣そま
の通る道のべ。敵も通りましょう。かなたの谷の蔭まで、お歩行ひろい
あれば、柴しば など寄せて、仮のお寝屋を設けまする。さ、もすこしの、御辛抱を」 すると、もう人はいないとばかり思っていた草むらから、ガサと動いて、言う者があった。 「下部しもべ
の身とて、畏おそ れ多さに、控えていましたが、おゆるしなれば、麻鳥が背に、負い参らせて、お供をいたしましょう。谷道は、いとどけわしゅうございますし」 「や・・・・麻鳥。おまえは、まだ、残っていたのか」 「陛下。およろしければ、わたくしの背に、おすがり給わりませ。下臈げろう
の足は強うございます」 「どうして、おまえは、落ちて行かないのか」 「いえ、やがては、麻鳥も、お側から姿を消さねばならないことになりましょうが、それだけに、たとえ幾日の間でも」 麻鳥は、屈かが
まり寄って、新院へ、背をお向けした。 四山は、眠って、厚い霧が、降りてきた。── が、遠くを望めば、古都平安の空は、なおまだ燃え続けている地上の炎に、魔の息吹のような火花を、いちめんに、ぼうっと映していた。
|